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In the Life of Music 音 楽とともに生きてのDickのネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

❶作品概要:
①ポルポト時代の1981年にタイの難⺠キャンプで生まれて、アメリカに移住した女性作家ケイリー・ソーと、カンボジアのラップ音楽の祖としてミュージシャンとしても活躍するヴィサル・ソック(1971カンボジア生れ)の二人が協力して、祖国カンボジアへの郷愁を込めて描いた抒情詩。
②本作は、このケイリー・ソーの自伝的要素がベースになっているように思えた。
③本作は、2018年の東京国際映画祭で上映され好評を博し、2020年度のアカデミー賞のカンボジア代表となっている。内容が地味なためか買い手がつかなかったが、今月(2020/7)から全国のイオンシネマ系で一般公開の運びとなった。

➋相性:良好。

➌カンボジアの小さな農村の一家族をコアに、40年間に渡る3つ時代が舞台になっている。

❹プロローグは、カンボジアに平和が戻っている2007年。
①主人公である、カンボジア系アメリカ人のホープが、初めてカンボジアの故郷を訪れる。病床にある母をアメリカに残しての、単独旅行である。
②ホープは、英語は堪能だが、カンボジア語は片言程度。
③ホープは、叔父と叔母に対面して、昔の話を聞く。
④ホープは、叔父の案内で村を訪ね、その様子をビデオカメラに収める。母に見せるためである。
★現在の田園風景が美しい。

★このパートは横長のシネスコサイズ(アスペクト比2.35)。但し、それはビスタの上下にマスクをいれた縮小シネスコ(フェイクシネスコ)である。(下記トリビア⓬を参照)。
★ビデオカメラの映像はビスタサイズ。

❺次の舞台は、カンボジアがまだ平和だった1968年。
①後にホープの父母となる、チーとファリーの青春時代。
②ファリーは、家事と農作業の合間に、もうすぐ結婚する年上の親友とのお喋りが一番の楽しみ。
③自転車修理店の息子のチーは病弱な父を助けて多忙な毎日。幼い妹の世話もしている。
④ある日、村にバンドがやって来て、ライブを行う。歌と踊りは、村人にとっては、貴重な楽しみである。
⑤その会場で、ファリーとチーが知り合い、恋に落ちる。
★のどかでゆったりした、平和な農村の風景と共に、貧しくはあっても、慎ましく穏やかに日常を生きている村人の姿は、善良な人間の本性を見るようで清々しい。
★この後やってくる、下記❻の暗黒時代の嵐の前の静けさである。

★このパートはビスタサイズ(アスペクト比1.85)。

❻次の舞台は、ポル・ポト政権による恐怖の暗黒時代の1976年(注1❾)。
①独裁政権にもかかわらず、正式国名を「民主カンプチア」としていた。今、北朝鮮が、「朝鮮民主主義人民共和国」と名乗っているのと同じ構図である。
②1975年からの5年間で、人口の3分の1が大量殺戮されたと記録されているが、本作でも、強制労働、処刑等の残虐行為が描かれている。明確にはなっていないが、ファリーの父も処刑されたようだ。
③クメール・ルージュ軍の中には、少年兵の姿も見える。
④強制労働中のチーが、夜偵察に出たところを、少年兵に発見される.目が合って、もうダメだと観念した時、少年兵が見逃してくれる。
★近年、リベリア、タリバン等第三世界での少年兵が大きな問題になっているが、イスラム教と仏教では、同じ「洗脳」を受けても、「殺人」についての考え方に違いがあるようである。
⑤本作では、著名な作曲家が、クメール・ルージュのプロパガンダの為の作曲を強要されるシーンが登場する。
これは、「クメール音楽の帝王」と称されたカンボジアの大歌手シン・シーサモット(注2❿)がモデルになっているらしい。小生は全く知らないが、カンボジア人にとっては知らない人がいないとのことである。
⑥本作には、シン・シーサモットの代表曲「Flowers of Battambang(バッタンバンに咲くプルメリア)」が、上記3つの時代に登場する。曲は同じだが、歌詞が時代に応じて異なっている。日本語字幕がついているので、よく理解出来る。

★このパートはスタンダードサイズ(アスペクト比1.33)。

❼エピローグは、再び2007年に戻る。
ホープがキターの弾き語りで、上記❻⑥の歌を歌う。
★40年間の歴史の幕引きに相応しいエピローグである。これは同時に、新しい世代の幕開きでもある。

❽まとめ
①カンボジアの苦難の現代史を記録するに相応しい作品。
②演出と編集に、いささかの消化不良が感じられたが、それは本作の価値を損ねるものではない。

❾(注1):「民主カンプチア」
かつてカンボジアに存在した国家。いわゆるポル・ポト政権の正式名称。「民主カンボジア」とも表記される。ベトナムが支援した「カンプチア人民共和国」とは異なる。1975年4月にカンプチア共産党(クメール・ルージュ)を主力とするカンプチア民族統一戦線 (FUNK) によるプノンペン制圧により、事実上誕生した。カンボジア全土を支配する政府としては、1979年1月のカンボジア・ベトナム戦争での敗戦により崩壊した。その後は亡命政府として存続し、反ソ連・反ベトナム陣営としてアメリカ合衆国や中華人民共和国などの支援を受け、国際連合にも議席を維持し続けた。1980年代以降はカンボジア内戦を長期化させ、政権時代には総人口の21%から25%が死亡し、そのうち60%は大量殺戮によるものでカンボジアは人口の3分の1を失ったともされる。(Wikipedia)

❿(注2):シン・シサモットSin Sisamouth
1960年代~70年代にかけて活躍したカンボジアの歌手で、ロ・セレイソティアと共にカンボジア音楽界のトップに君臨する国民的スター。「King of Khmer music」とも呼ばれる程の、今なお絶大なる人気を誇る。その独特の澄んだ歌声はカンボジアの人々の心をつかみ、カンボジアのトップ歌手となった。後に国王夫人のお抱え歌手にも任命され、名実ともにカンボジア音楽界の王としての座を不動のものとする。1970年ロンノル派のクデーターによってシアヌーク政権が倒されると、彼の歌は新ロンノル政府のプロバガンダとして利用されるようになる。元の歌から歌詞を変えられ、兵隊の歌や共産主義批判、王室批判などの歌を歌わされた。1975年クメールルージュがロンノル政権を倒すと、強制移住政策によってプノンペンは無人の街となる。偉大なる歌手シン・シサモットの行方はこれ以降わかっていない。有識者や芸術家を次々と殺害したとされるポルポト政権が、旧政権の広告塔とされていた彼をどう扱ったかは想像に難しくない。現代のカンボジア歌手もシン・シサモットの曲を新たにカバーするなど、いまでも彼の人気は衰えることを知らない。(カンボジアWiki)

⓫外部評価
①第92回アカデミー賞(2020):カンボジア代表作品。
②ロサンゼルス・アジア・パシフィック映画祭、フィリ―・アジアンアメリカン映画祭:観客作品賞受賞。
③Rotten Tomatoes:レビューなし。
④IMDb:51件のレビューで加重平均値は7.2/10。
⑤KINENOTE:8人の加重平均値68点/100点
⑥Filmarks:37人の加重平均値3.6/5.0

⓬トリビア1:アスペクト比
①リュミエール兄弟が、1895年に映画「シネマトグラフ」を発明した時からトーキー時代まで、画面のアスペクト比は「1.33:1のスタンダード」Ⓐだった。
②1950年代に、アスペクト比「1.85:1のビスタビジョン」Ⓑと、アスペクト比「2.35:1のシネマスコープ」Ⓒのワイドスクリーンが発明された。
③その後、「スーパースコープ」、「シネラマ」、「ウルトラパナビジョン(70ミリ)」等々色んなワイドスクリーンが開発されたが、現在では、ⒷとⒸが主流になっている。又、70ミリに変わる大画面として、一部劇場で「IMAX」が人気を博している。
④本来、ⒸはⒷの1.3倍の面積を持ち、Ⓑより拡大して上映しなければならないのに、多くのシネコンではⒷより縮小して上映するところが多い。その理由は、コストの削減。ⒸをⒷより拡大して上映する為には、スクリーンも場内空間も大きくする必要があり、建設コストが増大する。これを節減するため、スクリーンの最大幅をⒷとして設計し、Ⓒを上映する際には、上下にマスクを入れて縮小して上映するのである。これを「フェイク・シネスコ」と称す。本来、ⒸはⒷより30%大きい面積なのに、20%縮小して上映されているのである。

⓭トリビア2:テーマ関連作品
①『シアター・プノンペン(2016カンボジア)』 日本公開2016/07。2015/09&2016/08鑑賞/70点。
ポル・ポト派によるカンボジア大弾圧の時代を潜り抜けた映画をめぐる人間ドラマ。偶然寄った古い映画館で、女子大生のソポンは銀幕に映る若き日の母を見る。母の女優時代を知ったソポンは、内戦で失われたその映画の最終シーンを撮り直そうとする。
②『キリング・フィールド(1985英)』 日本公開1985/08。1985/08鑑賞/80点。
戦火にさらされた70年代カンボジアを舞台に、アメリカ人ジャーナリストと現地人助手との友情、そして流血と恐怖の戦場をリアルに描く。
③『幸福路のチー(アニメ)(2017台湾)』 日本公開2019/11。2020/01鑑賞/80点。
台湾から米国に渡り成功を収めたチーは、祖母の訃報を聞き、故郷である台北郊外の幸福路に帰る。そこで幼いころの思い出とともに自分を見つめ直すと、ある決断を下す。
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