CHEBUNBUN

われらの時代のCHEBUNBUNのレビュー・感想・評価

われらの時代(2018年製作の映画)
1.2
【女々しくて】
1%ぐらいの人にしか刺さらないメキシコの鬼才カルロス・レイガダス『闇のあとの光 』以来6年ぶりの新作が東京国際映画祭で上映された。

『闇の奥の光』の評判がすこぶる悪く、また今回は3時間と来た。しかしながら、私も含め日本にはMなシネフィルが多いらしく、チケット争奪戦ではあっと言う間に完売した。

さて、ブンブン、デュエリストとして、今年のラスボス、レイガダスに挑んで来ました。鑑賞後出てきた感想はと言うと、、、


女々しくて
女々しくて
女々しくて
つらいよー

この世には自慰映画というのが存在する。観客そっちのけで、監督が自身の気持ちを吐露するタイプの作品だ。最近だと『アンダー・ザ・シルバー・レイク』がそれにあたる。そして、この手の映画は観客が監督のプライベートに興味を持っていないと、あるいは歩み寄る寛大さを持っていないと地獄と化す。また、この手のタイプは、監督なりの「カッコイイでしょ」アピールが激しいので、観る者の神経を逆撫でする可能性が高い。

さて、今回のレイガダスはどうだったか?見事に私の神経を逆撫でし、ゲンナリしました。わかっていたことだが。

いや、フォローはしておこう。最初30分、ラスト5分は素晴らしい。涙が出るくらい美しい映像に溺れた。子どもたちが沼を無邪気に走り回る、牛が霧の中暴れ、陽光が差す中去っていく。好きだ。

しかしながら、レイガダスが想いを吐露した瞬間、私の地獄巡りが始まった。

本作は、おそらくレイガダスが妻との間に生じた倦怠の膿を絞り出す話だろう。倦怠期に陥り、妻は不倫の末夫の元を去った。それに対して、夫はひたすらに女々しく執拗に追い回す。それが、ナレーションだったり、メールだったりする。しかし、そこには映画的面白さはない。心情というのは画で魅せてこそ映画だ。現に冒頭、あれだけ抽象的な描写を見せつけておいて、肝心な部分では全ての気持ちをナレーションやメール文で魅せてしまう。極めて下手な演出だ。

また、自然の描写の合間に、近代都市、ティンパニのコンサートシーンを挿入しているのだが、全く持って機能していない。テレンス・マリックのように、心理的世界を自然に託すというニュアンスで使っていたのならそれは失敗だ。

そして、妻の喪失による哀しみを馬にぶつける場面。『リーン・オン・ピート』や『THE RIDER』と比べると、全く馬とコミュニケーションしていない。ただ、馬と人間がいるだけの絵面になっている。

とにかく、女々しく、女々しさも陳腐で退屈この上ない本作は今年の東京国際映画祭最凶の拷問映画と言えよう。

それにしても、主演レイガダス、妻役が実妻ナタリア・ロペスと聞いて、もしこれが監督の実話ならモーリス・ピアラ以上にど畜生だなと感じた。
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