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マチルド、翼を広げのpluviaのレビュー・感想・評価

マチルド、翼を広げ(2017年製作の映画)
4.9
監督・脚本・母親役を務めたノエミ・ルヴォウスキーが、自身の幼少期をもとにした自伝的作品とのことです。
初演技で主役というリュス・ロドリゲス、演技も歌も上手く引き込まれました。
予告編→https://youtu.be/3Nn_tTexD3Y?feature=shared

フクロウと会話する、ファンタスティックにラッピングされている痛み。
パリに住む小学生のマチルドはヤングケアラー状態のような日々で情緒不安定な母に振り回される。両親は離婚していて母と二人暮らし、父とは連絡しあう関係の様子。

深く傷ついた人は、自分が傷ついていることに気付かない。何であれ日常のことであれば異常ではなく当人にとっては日常となり、苦しみも苦しみと感じることを拒絶して全て愛情だと思い、愛だけに目を向けて耐えようとする。少しでも本当に愛情があるならば嘘はついていないのだからと…。傷ついている(いた)と言える人は、言えない人よりもまだマシだったりもする。
「マチルド、君は不幸だ」「私は幸せよ、もう大丈夫」「気がついてないだけ、囚人同然だ僕はペット、君はイカれた母親の囚人だ」「ママの悪口は禁止よ」

「愛」というポジティブワードで「愛があるならやっていける」のような家庭内の自助を美化しては語らず、愛だけではどうにもならないこともあるという形だったのも良かったです。

一つの場面を除けばかなり良くて、スコアはその一場面を除いてつけました。そこだけ他の撮り方をしてくれたらと切に…。


サブスクでMデュラスを3本立て鑑賞していたら、オススメに本作が出てきました。
一見似ていないようでいて、デュラスの、被虐的とも言えるような環境で成長するしかなかったゆえに、生存のために慣れて感受の構造が変わり、自分が利用したのだと主体的であるように思いたがったり(後には愛ゆえだったと言っていて、いずれにしても)痛みの伴う感情を見ないようにしなければやっていけない環境であり。そういった精神構造で育つ子の特有の部分が、デュラス作品の特に『ラマン』と本作が似ていました。
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