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魂のゆくえのkuuのレビュー・感想・評価

魂のゆくえ(2017年製作の映画)
4.2
『魂のゆくえ』映倫区分G.
原題First Reformed.
製作年2018年。上映時間113分。

名作映画の脚本家として知られるポール・シュレイダーが、イーサン・ホークを主演に迎えて描いた米国・英国・濠洲合作人間ドラマ。

余談ですがこの作品を観て『確信犯』と云う言葉が過った。
『日本国語大辞典 第2版』によると
『確信犯』 [名] ①法律で,政治的,道義的,思想的,宗教的な確信に基づく義務感または使命感によって行われる犯行。
政治犯,思想犯などと呼ばれるものがこれに当たる。 
という熟語でした。

戦争で息子を失い、罪悪感を背負って生きる牧師が、教会の抱える問題を知ったことから信仰心が揺らいでいく姿を描いた戦争で息子を失い、罪悪感を背負って生きる牧師が、教会の抱える問題を知ったことから信仰心が揺らいでいく姿を描いてる。

ニューヨーク州北部の小さな教会『ファースト・リフォームド』の牧師トラーは、ミサにやってきた女性メアリーから、環境活動家である夫のマイケルの悩みを聞いてほしいと頼まれ、彼女の家を訪れる。
そこでマイケルが地球の未来を憂うあまり、メアリーのお腹の中にいる子を産むことに反対しているという話を聞かされる。
また、トラーは自身が所属する教会が環境汚染の原因を作っている企業から巨額の支援を受けていることを知り。。。

ニューヨーク州北部にある歴史的な教会の牧師、エルンスト・トラー(イーサン・ホーク)の第一改革派教会は、牧歌的な丘の上に建つ白い塔で、彼は礼拝の指揮をとる気になれない。
俗に言う『信仰の危機』に陥っている。
まるで『信仰の道は何故楽にならないんか?』って疑問を抱いてるようなイーサン・ホークの演技は本当に巧みでした。
何故、信仰や信条への歩みは楽にならないんか?
小生も思い悩み時に忘れてハッチャけてまう。
何故やろか?
第一改革派を支えているメガチャーチの牧師、ジェファース牧師(セドリック・カイルズ)は、
『あなたにとって、すべての時間が最も暗い時間なのです』とトラーに云う。
エルンスト・トラーは宗教家としては惨めかもしれへんが、聖職者の精神的な危機は、常に小説や映画や音楽、そして絵画の豊かなフィクションの材料となってきた。
今作品のようなプロットを持つ作品は、これからも売れる売れないにせよ、描かれるべき作品であり、そのカテゴリー限定で云うならば、脚本家兼監督であるポール・シュレイダーの最高傑作と云えるかもしれへん。
こないな宗教や教会をモチーフにしてる作品は欧米には沢山ある。
(日本には坊主や神主の社寺をモチーフにしたんは少ないかな。)
楽しくて微笑ましく、ほんで未来の希望に満ちた物語が多い。
しかし、
『信仰てのは何か』
てのを真剣に突き詰める映画作品もまた沢山ある。
マーティン・スコセッシ『沈黙-サイレンス-』とか。
多くは宗教の伝道てのを目的としたモンやけど、実在の牧師のセクハラだの俗ゾクしたキモい言動を衝撃的に描いたモンもある。
(日本のクソ坊主の言動を描く作品があってもエエのになぁ。)
そんな作品群のなかでも今作品は特異作品かも知れへん。
ポール・シュレイダーは宗教的な衝動だけじゃなく、その感情に従うことで生じる特別な困難てのを長年に渡って探求してきた、と映画雑誌で述べてた。
シュレイダーにとって、信仰の道は、けっして祝福ではないのかもしらない。
むしろ、信仰の道は呪詛に近いものだと云いたいかのよう。
少なくとも彼の映画にとっては拭い去れない呪詛なんかもしれへん。
だからこそ、今作品の主人公トラーは第一改革派の牧師に留まって、個人的にはもう祈ることができなくても、出席者の少ない礼拝を執り行っている。
何かに支えられ、何かの役に立ちたいと思ってる。
そんなある日、彼の信徒である妊婦(アマンダ・セイフライド実際も彼女は妊婦さんで演じてたそう)が、環境保護活動をしている夫の相談に乗ってほしいとトラーに頼むって所に映画のこれからの展開が小生には見えてきた。
予想通り、ほどなく衝撃的な展開を見せ、トラーを精神的な無気力状態から信仰的な狂信へと駆り立てていく。
こないに書くと本作品は、表面的には実際よりもメチャクチャ刺激的に聞こえるかもしれないけど、今作品は淡々と進んでいくし、物足らないと感じる方もいるかも知れませんが、個人的に人生に迷う小生には刺激的かな。
今作品は形而上学的な旅が展開され、トラーは、同時に悟りの境地と狂気の淵に立たされることになる。
この映画は、瞑想的な祈りでもあるんやと思う。 
呪いと祈りは矛盾に感じるかもしれへんけど。
今作品は、
全体的に見たら詩的で、
禁欲的。
また、予言めいてるのに成功してるかな。
また、信心と不信の中心的であり、信仰の道においてはスリリングやし、不穏でもある。 
シュレイダーは説教の師じゃないし、今作品を宗教的には正統性を期待する人はいないとは思う。
確かに、今作品は教義を意図的にいじっているように見える瞬間がある。
確信と無神論の中間に位置するこの場所で、
今作品は、 
祝福と呪詛、
疑いと信念、
喜びと絶望を許容してる。 
そして、その過程で小生が最初に主人公トラーに見た疑問に対する答えのヒントを提示してるかの様でした。 
『信仰の道は何故楽にならないんか?』
それは確信への道じゃなく、神秘の中でのみ生きる方法であり、我々が持っている希望をしっかりと胸に抱きながら、不動で点滅しない輝きを(信じるもの)まっすぐに見つめる方法やと云えるからかもしれない?
輝く太陽でも見つめつづけるのは容易ではない。
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