YasujiOshiba

ライトハウスのYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

ライトハウス(2019年製作の映画)
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ネトフリ。24-32。キャッチアップ。思い出したのはトルナトーレの『記憶の扉」(1994)とか是枝裕和の『ワンダフルライフ』(1999)あるいはフェリーニの未完の企画『Gマストルナの旅』(1965 circa)。此岸と彼岸の間で人生の清算をする場所での物語。

加えてフロイトとユングがそれぞれ違う言葉で示してみせた欲動の源泉を、具体的なイメージで象徴的に見せてくれる。見えないものが見ているという意味で幽霊ものでありモンスターものなのだけど、その背景にはメルヴィル( 1819 – 1891)、カフカ(1883 - 1924)、スティーブンソン(1850 - 1894)、ラブクラフト(1890 - 1937)のような19世紀末から20世紀初頭の作家たちがいるというわけだ。

加えてセアラ・オーン・ジュエット(1849 – 1909)のリアリズムの影響。「ローカル・カラー」と呼ばれるアメリカの文学的地域主義のこと。考えてみればロバート・エガースという監督はアニャ・テイラージョイの『ウィッチ』(2015)なんかで、ローカルなリアリズムと魔術的なものを見事に融合させていた。

ローカル・カラーと言われると、イタリアのヴェリズムなんかを思い出すけれど、これも19世紀末的なもの。ナショナリズムもロマンティシズムも、ついでに精神分析ってやつも、結局のところ、身分制社会が崩壊し新たに領域国民国家が成立、実証主義が産業革命と国民革命幻想と一体化して、巨大なマシンが動き出し、個々の人間を置いてけぼりにしたところに異議申し立てをしたもの。言ってみれば、脱魔術化を推し進める近代社会に対しての、文学的な再魔術化の試みだったのだろう。

だからこの映画も、そんな19世紀的な時代劇ミステリーを装って、今の時代の淵を覗き込もうとする。だから怖い。確固とした、自明のものが、まるで突然の地震のように揺れ始める。もちろん、映画なのだから、見ている観客は安全だ。けれど、ホラーやミステリーのようなジャンルは、その安全を逆手に取るもの。くつろいでいるはずのぼくたちは、いつの間にかデフォーの眼(まなこ)の光に射竦められて、エンドクレジットの歌声を聴きながら呆然とするほかない。

そして音楽がよい。霧笛のような響きが空間を満たし閉塞感をあおる。効果音のような音楽。そしてエンドタイトルで聞かれる曲 "Doodle Let Me Go (Yaller Girls)" が意味深だ。タイトルはプエルトリコの現地の女性に「Yaller girls (黄色い娘たち)」と呼びかけ、「俺を行かせてくれ/放してくれ Let me go 」の意味なのだろう。Doodle は「おばかさん」のような意味らしいけれど、ここではたぶん現地の女の子にむかって使われている言葉なのだろう。

詳しくは次のリンクを参照のこと。

https://genius.com/18905122
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