シュトルム凸映画鑑賞記録用改め

冴えない彼女(ヒロイン)の育てかた Fine(フィーネ)のシュトルム凸映画鑑賞記録用改めのレビュー・感想・評価

4.0
シリーズ通して二次元作品特有の「萌え」というものの本質や構造に挑む、なかなか意欲的な作品です。つまり、いかにもラノベ、アニメ然としたキャラ立ちで能力的にもスーパーキャラのサブヒロインたちを差し置いて、極力没個性でローキー(安野希世乃の空中に遊離したような声が非常にマッチしている)なメインヒロイン(冴えないヒロイン)が、どこまで視聴者を萌えさせることが出来るかという挑戦なのだ。
言い換えると、二次元的なテンプレートを極力使わず、三次元の女性に近付けた極端な個性の無いヒロインでラブコメディをやってみる実験である。とはいっても、作品として二次元的なテンプレートを忌避してるわけではなく、そこはあざといぐらいにサブヒロイン側に振り分けられている。さらに、恋愛だけでなく、ゲーム制作を目指すサークル活動の中で、先行作品である「こみっくパーティー」よろしく、クリエーターとしての葛藤や野心、競争心といった少年マンガ的要素の描き出しにも成功している。
本劇場版では、サブヒロインとのエピソードを挟みつつも、いよいよメインヒロインルートに絞り込まれて行く流れではあるが、演出として心憎いのは、一旦サブヒロインたちが主人公に助けを求めた途端、もはやメインヒロインルートからは戻れないという頓悟に至ったサブヒロインたちのシーンだ。
メタに自分たちの置かれている恋愛模様を俯瞰し、自覚する彼女たちが、一旦サブヒロインのイベントをこなすことが、雨降って地固まるとばかりに、メインヒロインとの絆を深める道筋であると「気付いてしまった」その哀しみ。
しかしそうと知ってなお、クリエーター、表現者として己の作品を恋愛より優先し、自分たちの恋愛ルートを諦めるサブヒロインズの切なさと覚悟に胸を打たれます。
そして、もう一つ、上手いなと思ったのが、「彼女なら自分でも手が届くと思った」という主人公のメインヒロインへの恋愛感情の理由で、これ、実際に自分の乏しい恋愛経験に照らしてみても、人が人を好きになる上で重要な要素だと思います。要するに自分と相手との釣り合いということですね。
それが故に高嶺の花過ぎて、恋を逃したサブヒロイン二人の失恋が一層切なく、だが、しかし「確実に彼は私たちに恋をしていた、才能への憧れという名の恋を」…というフレーズの趣きの深さに感心させられるのです。