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生きてるだけで、愛。のkuuのレビュー・感想・評価

生きてるだけで、愛。(2018年製作の映画)
3.7
『生きてるだけで、愛。』
映倫区分 G
製作年 2018年上映時間 109分
小説家、劇作家、演出家などマルチな活動を展開する芥川賞作家・本谷有希子の同名小説を趣里の主演で映画化。
趣里が主人公・寧子役を演じるほか、津奈木役を菅田将暉、安堂役を仲里依紗がそれぞれ演じる。
数々のCMやAKB48、Mr.ChildrenなどのMVなどを手がけてる関根光才の長編劇映画初監督作品。

寧子役の趣里と美里役の石橋静河。
趣里はア・ラ・ラ・ララの水谷豊と伊藤蘭の御令嬢。
方や、石橋静河は石橋凌と原田美枝子の御令嬢。
この御令嬢の共演は何とも個人的にはアガル。
芸能人二世として演技を期待できないと思てたが、いやはや二世タレントも実力ある方が増えたって感じるほど巧みに近い。
先日、二代目 林家 三平をテレビで見たがこの咄家二世はボンクラには間違いないが(失礼)。
しかし、冒頭の寧子のキャラは腹の立つ。
この腹立ちは、演出もあるやろけど、趣里の演技力にほかならへん。
彼女の術中に嵌まりながら没入視聴開始。

世界は、資本や労働力の国境を越えた移動が活発化するとともに、貿易を通じた商品・サービスの取引や、海外への投資が増大することによって世界における経済的な結びつきが深まる。
このグローバリゼーション化と共に孤立する個々の人たち。
その速度が増すにつれ、それに伴う個人の精神状態の均衡を崩す症状も多く見られるようになる。
新型コロナウイルスの影響も加速の要因と云えるが。
仕事やサービスの多くの分野での求める声の高まりってのは、グローバルな労働文化の再定義から、バーンアウト(燃え尽き症候群)や鬱病といった避けられない病気への対処の仕方まで、実にさまざまな結果をもたらしている。
多くの国や文化が孤独で勤勉な働き手を理想とするとしても、このイメージは身体的・精神的な健康の問題に関しても問題になってきてる。
今日、子供たちの世界でさえ、学校や家庭でのプレッシャーに対処するために薬が処方され飲まなければならない切羽詰まったことを考えると、文句を云わんと、ニッコリ笑顔でサービスを提供する労働者というイメージを維持することが、自分自身や他者に与え続けるダメージであることがよくわかる。
マクドナルドと東京ディズニーランドはその点ではスゴい。
尋常一様に、この日本は常時孤独な、始終男子の労働者を理想とする国でやった。
鬱病や疲労困憊からくる精神の問題について話すことは、影響を受けた人々をサポートするための多くの努力にもかかわらず、いまだに社会的禁句となってる。
実際、多くの精神に障害をもたれてる人は自分の症状を改善するために助けを求めるよりも、むしろ自分の殻に閉じこもり、他人との付き合いを排除してるのが多い。
こうした、ひきこもり現象を中心に、鬱病の悪循環を断ち切り、外の世界へ戻ることの難しさがあると云える。
今作品の主人公寧子(趣里)もまた、人生において大きな打撃を受けている。
鬱病と過眠症に悩まされ、一日の大半をベッドで過ごす。
一方、恋人の津奈木(菅田将暉)はそんな彼女の様子に無頓着で、気分の落ち込みに耐えながら、小さなアパートに住み続ける彼女を間接的に支えている(ようだ)。
優しいのか無気力なんか微妙な揺れやし、もう少しヘタレなダメンズ俳優でも良かったかな。
嫌々ながらゴシップ誌の編集部に勤める彼は、家庭と仕事、そして毎日お決まりのお弁当という日常を受け入れていた。
しかし、寧子は津奈木の無関心と姉の就職難に苛立ちを覚えるように。。。
やがて彼女は安藤(仲里依紗)と出会い、近所の喫茶店でアルバイトをすることになるのんやけど、それは津奈木と寧子の仲を裂き、津奈木とよりを戻すための策やった。
今作品は、主としてドラマと恋愛の要素を融合させることで、今作品で提示された問題への対処法について、魅力的で、時に示唆に富んだ物語を生み出している。
例えば、津奈木は、裸やセックスを含むイヤな記事について長い間議論した後、同僚のライター、美里(石橋静河)と、彼らが働くオフィスビルの屋上で出会う。
以前、ある記事が掲載された後、その記事の内容と画像が原因で自殺した人物がいることが早くからわかっていた。
津奈木の無感動さに苛立つ彼女は、寧子と同様、自分たちの言葉がどんな結果をもたらすか考えずに仕事を続ける津奈木に呆れる。
ステレオタイプとはいえ、主人公を取り巻く世界は、鬱と普通の境界線が曖昧になることが多い。安藤や津奈木の上司のように、他人の弱さや沈黙を利用して利益を得ようとする一方で、自分の心の乱れを露呈させるような人間もいる。寧子のやる気のなさ、責任をもって自分が関わっていくこと、責任をもってある事象や物事に関わっていくことを公約・明言すること、責任を伴う約束をすることのなさに焦るかもしれないが、彼女の疲弊は、こうした無理解と外界の搾取性からきている。
彼女がベッドに横たわる映像は、衣類やガラクタ、目覚まし時計の山に囲まれており、ある種の保護膜を形成しているのかもしれない。
とは云え、関根監督の映画の主な焦点は、この映画が明らかに成功しているドラマチックな側面にある。
また、重森豊太郎の熟考された撮影に加え今作品の魅力の多くは、趣里の中心的な演技と関係がある。
趣里の強烈な肉体表現と感情表現は『百円の恋』の安藤サクラを思い出した。
結局、今作品は、鬱病のしがらみと、そこから脱出する可能性を描いた映画と云える。
関根光才監督の今作品は、巧みキャストと優れた撮影に支えられ、病気や弱さに対する我々の見方を覆すと同時に、寧子のような登場人物が癒されるためには、理解と愛を示すことがいかに大切かを強調し、間違いなく長く観る者の心に残ること思います。
余談ながら、『愛娘・趣里の全脱ぎに激怒』と水谷豊の記事を少し前に読んだけど、複雑な心境を察するけど、『全脱ぎ』で化ける女優さんもいるし、趣里は素人眼には巧みな俳優さんやし、キャリアに繋がると思うし、信じたいかな。
『寺島しのぶケース』で趣里ガンバ!!
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