TV番組に戦隊ものシリーズっていうジャンルがあって、
ヒーロー好きな子供はもちろん、お母さんにはイケメン、お父さんには、女性キャストというお楽しみが用意してあり、それぞれお茶の間で同じ映像を見ながら、それぞれが違った意味で楽しめる、そんな作りになってる
この作品も同じで、年齢や性別、問題関心や成長の背景に応じて、いろいろな解釈が可能な仕掛けになっている
例えば、これを環境問題ととらえることも充分可能だろう
河川の汚染、それを子供の純粋な心により浄化されていく…みたいな
もちろん、勇気と愛、でもいいかもしれない
タイムマシン的な要素もある
だが、自分は、この作品に込められている、千尋の性的な成長過程について少し触れておきたい
両親が豚としてむさぼり食べる図は、大人の、とりわけ最も身近な大人である両親の性愛を知ってしまった少女期の嫌悪感を示している
しかし、自身も両親から切り離された世界でハクと出会い、異性への愛に目覚める ハクと千が、手をつないで宙を泳ぐ様は、性愛の象徴であり、その成長から、両親の愛をも理解するに至る…
監督自身は、湯屋が女郎屋のメタファーであることを認めており、それは千が経験することになる社会の恥部を知ることとそれに対する対処を学ぶことでもある
もちろん、いたいけない子供たちがそういった仕掛けに気づく可能性はないし、またそれをあえて気づかせる必要もない
ただ、異性への思いとその思いが達せられた時の高揚感のような意識は、この作品を観た経験があれば、成長したのちにそのことと実際の自分の感覚を引き合わせて考える機会もあろうかと