海老シュウマイ

あの頃、君を追いかけたの海老シュウマイのレビュー・感想・評価

あの頃、君を追いかけた(2018年製作の映画)
3.0
このキレイキレイな日本版チューニングをどう考えれば良いのか…

「爽快感」を目指した作りは間違ってない気がするし、そこに、もはや人間の造形ではない齋藤飛鳥の配置も完璧。
その文脈で言えば、下ネタだけでなく、食事シーンや食べ物自体を極力出さないのも理解できる。「漂白された世界」。齋藤飛鳥なら全然アリ。あしゅはおトイレなんか行かないんだよぉ!そんな世界。
長野の風景とも相まって映画全体が不純物のないピュアなものとして成立してる。南アルプスの天然水じゃん。

ただ、これ単体として面白かったかと言われれば全くそんなことはなく、普段なら絶賛してそうで、ブーメランだしダブスタな気はするけども。


オリジナルでは下品さや汚さと、清廉さの対比が、幼稚/早熟、暴力/理性として読み替えられて物語のキーとして機能していたし、その違いが二人の運命を決める重要なファクターでもあったはず。

確かに、日本版でも二人の人物造形は似せていて、オリジナルをなぞって同じ動きをしているのに、なんだかこの二人は別世界すぎた。
オリジナルにあった街の汚さ(ごめんなさい)、教室の汚さ、カップラーメンの汚さ、寮の部屋の汚さ、そして、ホットドッグの中身が土管のフタに刺さるという食べ物/下ネタで二重に不潔!(最高!)など、一切出てこない。

であれば、いっそのこと原作トレースをやめて別の世界線で、ラストも変えてしまって良かったんじゃないか。


そして何より、ギデンズ・コーのインタビューによると、
ミシェル・チェンとは同じ会社で、初めて見かけた時に素敵だなと思ったのに、その後、数年間、声をかけることができず、エレベーターで一緒になっても緊張して、ちゃんと話もできなかったとか、
やっと映画で一緒に仕事ができるようになり、あの橋のシーン、オフショットでミシェル・チェンに監督自身が告白をする段取りをつけて、過去にできなかった告白を実現させる!!という時に結局、尻込みして告白できなかった、らしい。
もうねこの童貞感、最高だよ。
だからギデンズ・コーがミシェル・チェンに恋をしていたように、そりゃ観客(俺)も同じように恋してしまうわけよ。

一方で日本版は秋元康、北川謙二が絡んで商品として齋藤飛鳥を売る。そりゃ別物になるわけで。
商品としてはそこそこの出来だけど、お話が何でも良かったなら別のものを使って欲しかったな…