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イモータル・ライフ・オブ・ヘンリエッタ・ラックス/不死細胞ヒーラ ヘンリエッタ・ラックスの永遠なる人生のキューブのレビュー・感想・評価

3.0
 HeLa細胞という様々な医学研究に利用される培養細胞を、自身の知らないところで提供したとある女性の話。ではなく彼女の死後、残された家族たちの苦悩を描いた物語である。

 そもそも人間から切り離された細胞は個人の所有物ではなくなるのか。そこから発生した対価は当人に帰属するのか。そうした倫理的問題にこの映画が切り込むことはない。代わりに言及されるのは、50年代における黒人患者への虐待まがいの処置の数々であり、比較的マイルドな表現だが目を背けたくなるような事実ばかりである。そして、それら一連の出来事からトラウマを受けたのがオプラ・ウィンフリー演じるデボラであり、HeLa細胞の持ち主・ヘンリエッタの娘である。
 この映画はウィンフリーの演技が全てと言っていいだろう。躁鬱病の影響から周りの人間を嫌というほど振り回すのだが、常に付き纏う悲壮感のおかげで、ジェットコースターのような演技が観客を振り落としてしまうことはない。脚本がその具体的な背景を明らかにすることはないものの、彼女の演技がデボラの人生を全て物語っているのだ。

 そして実の所、それがこの映画の問題点でもある。あたかもデボラが主人公のように書いたが、実際の語り部は映画の原作者でローズ・バーン演じるレベッカ・スクルートである。脚本家たちが彼女の視点から物語を組み立てると決めた時点で、ある意味この映画は失敗しているとも言えるのだ。
 というのもレベッカには主人公に相応しい葛藤やバックグラウンドがなく、事実、デボラが登場してからの彼女の存在は希薄になるばかりだ。だが製作者たちは彼女の視点を捨てることができず、いつまでもデボラによそよそしいレベッカと同じく、我々も感情の起伏の激しいデボラの内面を真に覗き見ることは叶わない。最後まで他人事であることは否めないのである。
 一方でドラマとして興味深いイベントがデボラにあることも認めざるを得ないために、レベッカ特有の領域、すなわちHeLa細胞の医学的功績や倫理的問題点を取り上げることは放棄し、中途半端に「負の歴史」を取り扱ったのだろう。それらが全て白人的な視点からのエピソードへと編纂されているのも残念でならない。

 こうした俯瞰的な部分での視点のブレが、傑作となり得た作品のポテンシャルを台無しにしていることは間違いない。だがいざ映画を見ると、ウィンフリーのカリスマ的とも言える演技を筆頭に、アンサンブルが織りなす巧みな応酬には圧倒されるばかりである。そしてヘンリエッタという女性が遺した功績、そして母親としての愛へ思いを馳せる時、美しく煌めく細胞に見入るデボラと同じように、私たちもその神秘性に感嘆せざるを得ないのだ。

(20年12月25日 Amazon 3点)
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