ケーティー

坂道のアポロンのケーティーのレビュー・感想・評価

坂道のアポロン(2017年製作の映画)
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佐世保のロケーションの魅力、監督と出演者の才気、音楽もいいが、脚本が三角関係の描き込み不足でもったいない


澄んでいてどこか温かな映像は青春映画を得意とする三木孝浩監督の作風だろう。本作でもそのよさは発揮されていて、ノスタルジックな(街並みなどの)セットと佐世保の抜群のロケーションがマッチして、他では得がたい雰囲気がある。それに、俳優陣もよく、中川大志さん、小松菜奈さんという実力派がアイドル知念侑季さんを挟むメイン三人のキャスティングも悪くないし、脇役では実際にベーシストでもある中村梅雀さんの味のある芝居がいい。それに、作品の骨格も、それぞれの生い立ちなど設定もおもしろい。しかし、これだけよい要素が揃っていて、映画が傑作だったかというとそうではない。私に合わなかっただけかもしれないが、メイン三人の三角関係の描き込みなどが不足していて、青春ドラマとしてのドキドキや、こんなことあったなと思わせる青春の痛みやつらさが全くないわけではないのだが、弱い。迫ってこないのだ。三角関係の盛り上げ方含め脚本の描写や構成(伏線なども含む)が弱く、思わず感情移入せずにはいられない状態にまでもっていけていない。もちろん、観客を敢えて傍観者の視点に立たせて、突き放して描く方法もあるが、本作は本来、観客に感情移入させて一緒にドキドキわくわくさせたかったのに、そこが中途半端にしかできなかった印象なのだ。

例えば、同じ三木監督作品でも、岡田麿里さん脚本の「先生!、、、好きになってもいいですか?」は、セリフに難点はあったものの、このあたりの構成が抜群にうまかった。思わず主人公と一緒にハラハラさせられるものがあったのである。(改めてもう一度見直そうと思った)

本作では律子をもっとうまく使って、三角関係をぐんぐん描写しないといけないのにそれができていないのが一番の問題だ。例えば、神社でキスするところも、もっと盛り上げられるはずだと感じた。このいうのは、昔の月9や韓国ドラマがうまい。観てるほうも、主人公と同じく、好きな女性の弱さやつらさの描写に、俺なら幸せにできるのにと極限まで思わせて、キスにもっていかないといけない。そうしないと、感情移入が弱くなる。

もっともこうした心情の諸々の描写は、音楽映画と割り切って、もっと色んな曲を演奏させて、それを現実の心境と絡める方法もあったが、それもしていない。どうも心情の描き込みや同情移入のさせ方、言葉を選ばず言えば、観客の心を意のままに操る仕組みづくりが弱いのである。

ちなみに、律子に気を使う主人公のヘタレ描写は謎に多いが、そこに脚本家あるいは監督は一番共感したのだろうか。どうもその描写も一人よがりで、切なさにまで描写が至ってない。その理由は何かと考えると、主人公が律子を好きだという思いをハイライトして、気を使うにもっていかないと、ただやたらと気を使うヘタレになってしまって、微笑ましくはあるんだけど、キリキリするものにもっていけていないのだ。

こうした人物描写の難点は実は多く、役者がいいので、気づきにくいのだが、人物相関のコントラストのつけ方が全体的に弱い。もちろんやりすぎるとマンガっぽくなるので注意が必要だが、本作はそこまで深い意味もないのでもっとやるべきだと思うし、脚本が単に描き込み不足だと私は感じた。

例えば、真野恵里菜さんが演じる百合香は特にそうで、思春期の高校生が憧れる大人びたミステリアスな美女にしたいのか、清楚そうで根は強く全ての男に好かれながらも一番好きな男に振り向いてもらえずしがみつく人間くさい女をやりたいのか、どっちつかずな印象を受ける。作品を観たときは、今の脚本のままでいくなら人物の描写が弱いから、どちらかというと前者よりで、真野恵里菜さんと小松菜奈さんは配役が逆でもよいと感じた。しかし、おそらくスタッフがやりたかったのは、作品全体から考えると後者だろう。すると、真野恵里菜さん演じる百合香の清楚そうで根は強い部分や、男が騙されてしまう(男を騙してしまう)部分をもっと描かかないと、千太郎の切なさや青春期に大人の女性に恋する上で経験する理不尽さや不条理さが出しきれず、本作ではその描き込み不足を感じた。もっとも、薫の台詞で、百合香の人となりの説明が少し入るが、それをシーンやちょっとしたやり取りの一挙手一投足でどう見せるかを考えなければいけなかったと感じたのである。

もう1つ、あらすじ展開で気になったのは、(マンガでは実は多いのだが、)主要な展開がすべて偶然なのだ。連載マンガだと、こうした点は、前のあらすじとの連続性が弱いので(ずっと続けて同じ時間に読んでいるわけではないので)、偶然の事件をポンッと入れて展開を飛躍させることができるのだが、映像だと、それは連続性がないため、観ている方の感情を途切れさせてしまうリスクがある。直接的であれ間接的であれ、そんな展開ありかよと思わせてしまったり、そもそも事態を飲み込めずいったん感情の流れをストップさせて状況把握を冷静に脳にさせてしまい、感情の沸点を落とさせてしまう(また感情にアクセルがかかるまで時間を要することになり、感情がふたたび高まらないうちに映画が終わる)リスクがあるからだ。仮に、三人を引き裂く事件もラストの解決も偶然の事故を使うにしても、何か伏線を入れないといけない。例えば、このあたりは「男はつらいよ」などがうまい。序盤に似た話が他の人であったり、作品全体をある物語や古典をモチーフに使って進めたりすることで、こういう展開(事故などの偶然)もありうると観客に無意識にマインドセットさせて、受け入れやすくするのだ。このように、方法はいくらでもあるのに、それをしていないのが問題だと感じた。

本作は青春映画であり、人によっては所詮アイドル映画と思う人もいるかもしれないが、監督の演出と役者がいい分、脚本の力量不足が実にもったいなく、惜しい作品である。