ケーティー

笑う招き猫のケーティーのレビュー・感想・評価

笑う招き猫(2017年製作の映画)
4.3
主演二人の熱演が、ポテンシャル以上の魅力を作り出す作品


これはすごい。主演二人の魅力が想像以上の出来を作り出している。はっきりいって、脚本や演出、撮影、編集など作品の基本となる部分はうまくない。各種インタビューで、現場で台本のセリフを変えるなど、即興的に撮影が行われたと書かれているが、構成も、このエピソードは本当にいるのかと思うところや、もっとうまくラストを見据えて、逆算してシェイプアップして組み立てる方法があったのではないかと思わせるところもある。脚本も、セリフが(作る側はこだわったつもり、あるいは原作からの引用なのかもしれないが)下手な部分があり、観念的な一昔前の中二病的なセリフもある。そうしたセリフや諸々は損で、所々安っぽいつくりだと感じさせるところもある。

しかし、それでもなお、本作が魅力的なのは、主演二人の輝きだろう。かつて、山本晋也監督が「下妻物語」を、監督の意思を超えて、主演の二人(深田恭子さんと土屋アンナさん)が 作品にのめり込んで、ほんとに映画の世界に浸っちゃったことで生まれた傑作と評したが、「下妻物語」と比べると下回るものの(もっとも「下妻物語」は中島哲也監督の力もあり、そのステージの上で主演二人が飛躍している)、主演二人(松井玲奈さんと清水富美加さん)がうまくはまって想像以上に役に魅力が出て、スタッフの拙さを越えて映画をよく感じさせてしまうのだ。

まずこれは、芸人を描く映画で、とても重要なことだと思うが、主人公二人の漫才が見ていて恥ずかしくならないのだ。だいたい俳優が芸人の役をやると、コントシーンなり、漫才シーンなり、頑張ってやっているのはわかるが、どこか拙さや嘘っぽさ、空回りしている感があって、観てると、こちらが恥ずかしくなる瞬間がある。しかし、そんなことがないのだ。必ずしも漫才のネタとしてめちゃくちゃ面白いところまでいっているわけではない。しかし、自然に見れて、なおかつ、役どころが漫才にうまく反映しているのだ。これは稽古をしたということもあるのだろうが、主演二人のもっていたセンスもあるのだろう。特に、本作では、主人公の女性漫才コンビが日常の会話から漫才になっており、それが事務所所属が決まったきっかけにもなっている重要なポイントとなっている。だからこそ、余計に二人のかけあいが重要なのだが、そこが自然でうまいのだ。松井玲奈さんの思い切ったボケもパンチが効いていていいのだが、何といっても、清水富美加さんのツッコミのうまさは光るものがある。バラエティ番組でも、役者などのおもしろくないネタを芸人のツッコミが笑いに変える瞬間があるが、そこまでとはいかないまでも、清水富美加さんのツッコミが重要なファクターになっていると感じた。主人公二人の漫才的な日常のかけあいには、それは漫才がそうであるように、バックグラウンドが異なる二人が、日常から真剣に向き合っている証拠であり、だからこそ、対立が崩壊をもたらす。このあたり、実際のストーリーの作り方が、まるで漫才の構成のようになっており、ラストへの解決への展開にも思わぬ手とオチが用意されている。

作品全体は、「逃げない」をテーマに、ある種群像劇的に見せる。しかし、実は、ここの群像劇的な構成には特に拙さを感じた。だが、それぞれの人物は魅力的で、自分を痛めつけてきた人を許す人、一度は夢を捨てサラリーマンになったがまた夢を追いかけるアラサーなど、主人公二人も含めて、実際はこう生きたくても生きられない人が多いんだよなという思いがよぎり、だからこそ、痛めつけられても、底辺でも、世間にどう思われても、逃げずにやっていく彼女たちの姿に夢がある。

これは、松井玲奈さんがアカコの奔放そうで孤独や寂しさを抱えた側面を、清水富美加さんがヒトミの元OLのやさぐれ感やほのかに匂わす元カレへのひたむきさや想いの変化を、脚本以上に演じきったことも大きい。それらを乗り越えて二人が夢に向かって生きていく姿に、引き込まれずにはいられなかったのである。