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紅い唇/血に濡れた肉唇のhorahukiのレビュー・感想・評価

紅い唇/血に濡れた肉唇(1975年製作の映画)
4.1
人は消えても記憶は残る…。

全裸美女だらけな傑作エロエロ吸血鬼映画。
20年前、子どもの頃に古城で会った美少女。「愛してる!必ず迎えに行く!」そんな約束をしたことを急に思い出した30過ぎのマザコン主人公は、記憶の中の美少女に会うため、過保護なママに反抗して自宅を飛び出す。そんな遅れてきた反抗期オジサンの物語。

2日前に『赤い唇』を見たので『紅い唇』も!久々のローランだったけど、相変わらずカッコ良いショットだらけで眼福!今回は主題に対して流石に冗長すぎたように思えるけれど、その分、無駄にカメラの前でオ○ニーし始める全裸美女だったり、さっきまで服を着てたのに何故か急に全裸になって主人公を誘惑し出す美女カメラマンだったりとエロも盛り盛り!肝心の美少女吸血鬼たちも全員全裸!😂

邦題だけでなく、地味に『赤い唇』と共通点が多い。本作は抑圧的な母親の呪縛から解き放たれ、美少女とともに自由を獲得する物語なのだけど、必死に止めようとする母親と口論する場面では、主人公の背後に真っ赤に染まったシャツの像(恐らく色欲と生と死の象徴)と子どもが描いた船(抑圧された原石的感情と自由の象徴)の絵が意味深に左右に配置されている。

この心的深層が検閲を通過して漏れ出てくる主人公に対して、母親は「具合が悪そう」と一蹴する。更には主人公は口論の途中で船の絵へと移動し、それを背にして「子どもの頃が思い出せない」と口にする。主人公の深層と対面している母親には恐れを、無意識下=背面によって主人公の抑圧と反発反応を表現しているのが面白い。ちなみに『赤い唇』でも船と吸血鬼は自由やアイデンティティの象徴として登場し、 「闇」に向かう旅路を暗示したように、本作でもラストには船が映り、やはりその旅路は「闇」に包まれる。

それは吸血鬼としての自由だけでなく、文明によって蹂躙されてしまった人間そのものの原石的な「神聖」に目を向け、社会的規範としてのレールを背にした先にある何者にも縛られない内面の発露が退廃的にならざるを得ないものだと説く。通り過ぎる車の音を背後に見送り、墓地で待つ美少女に向かい進んでいく主人公は意味深で、文明での「死」の先にある「生」へと物語が傾いていくのは『The Iron Rose』、『ゾンビクイーン』と共通した主題を本作でも描いているのがわかる。

また、格子柄の幾何学模様と対照的な人物の曲線を調和させるかのような衣装センスはアンリマティスを思い起こされた。女性を美しく撮ることに固執しているように思えるローランは、女性の肖像画が多かったマティスから相当な影響を受けているのかも…とか思った。
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