chunkymonkey

リトル・メンのchunkymonkeyのレビュー・感想・評価

リトル・メン(2016年製作の映画)
4.5
爽やかで微笑ましい映像にのせ子供の友情がテーマと見せかけて大人の生きづらさを描くめっちゃ深い隠れた名作。大人になって生じる面倒事はいろいろあると思いますが、今作では比較的現代に特有な問題として格差社会におけるコミュニケーションの断絶、時代を超えた普遍的な問題として恋愛関係を取り上げています。

ネタバレも何もあったもんじゃなくて、この映画のプロットは「親同士のトラブルで邪魔される子供の友情」の一言です。トラブルの概要ですが、ジェイク君の祖父は所有する不動産の1階を不倫関係にあったトニー君の母レオノールにタダ同然で貸していて、祖父の死後にジェイク父ブライアンが一般的なテナント料よりは格段に安くするのでこれくらい払ってもらえませんでしょうかと相談に行ったところ、レオノールが「私はあんたより愛されていた」とかひたすら嫌味を言って一切応じず交渉にもならないというものです。

ジェイク君のジャーディン家は上の下、トニー君のガルシア家が中の下といったところで格差は多少あるが最初は互いに友好的です。で、トラブルにおいて不合理な態度をとっているのはレオノール。ブライアンの態度は全く強硬でなく交渉に応じる準備があり、これくらいだったら払えるとか次の場所を見つけるまで何カ月待ってほしいとかやりようはいくらでもあったはず。が、レオノールはただただブライアンに嫌味を言って、払えないと言いながらなぜか店では新たに人を雇うは... 話にならず最後は弁護士を通せとぶった切り、結局即立ち退きになります。

格差の下側の人間が馬鹿げた行動をとり、それをみて上側の人間が見下し断絶する。でもこれは下側にいるレオノールが何も馬鹿なのでは決してなく、生存本能として人間の脳がそういう風に作られています。つまり格差の下側にいて余裕がなくなると、人間の本能としてとにかく今日を生きのびないといけないから、あるかどうかもわからない明日以降のことを考えて計算し合理的に考える意味はなくなり、今がよくなることだけを考えようという思考回路になります。低所得者に不健康な食生活や喫煙者、無駄遣いが多いのはいい例です(TVゲームに関するエピソードもここを意識しているのは間違いない)。この映画ではレオノールが後々の強制立ち退きのリスクを考えず、とりあえず嫌味を言ってその場だけすっきりする。こういった思考・行動は、状況に適応し生存するための人間"全員"の特性であり上流の人ももちろん余裕を失えばそうなります。が、そこに気づかないので上流は下流を話にならないと馬鹿にし、ジャーディン家とガルシア家のコミュニケーションは断絶してしまいます。これが今話題の「社会の分断」です。終盤で事情を知ったジェイクが立ち退きを避けるように両親に勢いよく訴え始めたものの、すぐに抵抗をやめ父ブライアンと抱き合います。言葉にしたことで大人の階段昇る13歳のジェイクも大人の事情・ブライアンの立場を理解したのでしょう。

もう一つは恋愛・婚姻。トラブルの本を正せば、夫がいるレオノールがジェイク君祖父と不倫関係にあってテナント料の免除がなされていたことです。両親は別居しトニー君は父親にほとんど会えません。ところで思春期前のジェイク、トニーの関係は純粋に友情であり恋愛ではない。にも拘わらず時に間接的に(ジェイクが見つめる先生のズボンの膨らみetc.)、時に直接的に(トニーとの女の子についての会話etc.)、本人の自覚はこの時点でないでしょうがジェイクがゲイであることが異様にしつこく示唆されているのは重要な点です。おそらく高校生1年生(日本でいうと中3)になったと思われるラストでは、ジェイクの風貌はいかにもという感じに変化しています。トニーはそうではないので、親同士のトラブルがなかったとしても思春期を迎えたこの時点で二人の関係はジェイクの恋愛感情によって破綻することが想定され、この問題についても既にジェイクは大人側へと移行していることが暗示されます。大人にとって恋愛・婚姻が何かとトラブルの元になるのは今も昔も一緒ですネ。

子供って立場が違ってもすぐ仲良くするけど、悲しいことに大人になると難しい。ジェイク、トニーも13歳で、そんな大人フェーズに足を踏み入れかけているところが一層この映画のテーマを際立てています。でも今作を通してどこに問題あるのか焦点をあてて考えると、少しヒントがみえてくるかもしれません。ジャンルをキッズに分類しているものもありますが、完全に大人の映画でした。
chunkymonkey

chunkymonkey