140字プロレス鶴見辰吾ジラ

ガザの美容室の140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

ガザの美容室(2015年製作の映画)
3.7
”日常と抵抗”→戦争ポルノではない。

「ガザの美容室」
”ガザ”という地名を聞いて、きな臭い戦争映画と思うかもしれないが、今作は単に、「イスラエル」「パレスチナ」という言葉を並べて、感動ポルノの如く、戦場の悲惨さや嘆きを痛みや死によって描き、同情を集めるようなエモーショナルな映画ではなく、あくまでガザ地区の生活を切り取って描いた作品である。つまり終着や出発点の”死”ではなく、現在進行形の”生”の部分の映画である。グランドホテル方式ならぬ、グランドヘアサロン方式で、その地域の女性だけの空間でを箱庭的に見立て、ドラマ的なデフォルメをして描いていることで、窓の外の戦闘など音のみの演出でありながらも息が苦しくなるような緊張感や恐怖感を煽っている。もしもこれが今話題の”ガザ”という地域の悲惨をエモーショナルに伝える”感動ポルノ”ならぬ”戦争ポルノ”となってしまっては、いけないと考えての生活の切り取りというのが画面越しに伝わってくる。

印象的なのは、各キャラクターの会話の端々に垣間見える生活感や、移住してきた者、結婚を控えた者、出産を控えた者と生きる臭いを感じさせながら、コメディリリーフ的におしゃべりな女性に宗教に熱心な女性、スマホを弄る若者などなど、「世界がもしも100人の村」だったらのようなブラックユーモア的な切り取り方や、人生の転機が一転して恐怖に変わる不条理さも凝縮している。その空間の近隣で銃声、さらにロケット砲の発射音から爆発の衝撃をより強調している。プロパガンダのような戦争映画よりも、片渕監督の「この世界の片隅に」同様に、生活を切り取ることで、資源や食糧、男女格差の浮彫のさせ方を、一般人視点のデフォルメした説明で行っていることで、親近感のような手軽とより明確な人間性と死の影を照らし出していたと思う。最後は観客に委ねるようにこの閉鎖的な箱庭が閉じて終わるわけなので、我々はその扉を開けるという意識を持つべきと自然に思わされる。