ケーティー

PARKS パークスのケーティーのレビュー・感想・評価

PARKS パークス(2016年製作の映画)
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生きることは楽ではない。しかし、誰にでも光る一瞬はある。
そんな温かなメッセージを井の頭公園や吉祥寺のやさしさで描く作品


井の頭公園をテーマに映画をつくるとしたら、ミュージシャンやバンドを題材にするのは自然な流れだろう。もちろん、公園に通う老人夫婦とか、「言の葉の庭」のような純愛ものとか、あるいは心に闇を抱えた少女が公園での人との交流で癒されるとか色々あるが、ミュージシャン・バンドであれば、人物もつくりやすいし、音楽は絵になるし、何よりも個性的な人間関係で独自のドラマがつくりやすい(先に挙げた例は一見個性的なようで類型に陥りやすい)からだ。

しかし、本作で特徴的なのは、バンドマンの成功を描かないことであろう。それは、シリアスで鋭いまなざしをもっていると同時に独自の温かみのあるファンタジックな作風をつくり出している。

誰もが夢をつかみ成功するわけではない。本作は、何者かに憧れて生きる吉祥寺や下北沢の雰囲気に、シリアスな目線で正直に挑む。しかし、誰もがきっと主人公がこれだ!と思う歌と出会えたように、社会的に成功はしなくても、何か心の中で満足するものを一回は必死になれば手に入れられる。そんな瞬間を温かく見事に描写する。それは生きることへの賛歌でもある。(※)

本作は、監督の映画で、ストーリー・構成と絵的な(幻想的な)世界観が一体となり、主人公の心象風景か映画で繰り広げられる。それは、まるで1つの私小説や純文学をそのまま映画にしたような作風で、小説の描写を絵で表現したような世界観がよい。(ちなみに、本作は原作なしのオリジナル)しかし、だからこそ、わかりやすい話ではないし、いわゆるエンタメ作品のようなストーリー構成があってわくわくしたり、面白がらせたりする作品ではない(もちろん映画としてのストーリー構成はあるのだが)。それゆえ、好みは別れるだろうし、つまらないという人もいるだろうが、私は好きだ。こういう作品は、監督・脚本が同じ人でないと成立しないし、監督が東京芸大の映像研究科出身というのも納得がいった。

俳優陣では、永野芽郁さんと佐野史郎さんが作品のキーとなる役どころを演じている。ふたりがキーであることは、直接的な描写はなく、だからこそ、難しい役どころで、このあたりの演じ方に、うまさがある。
まず、永野芽郁さんなしでは、この映画は成立しなかっただろう。彼女がなぜ来たか、そしてラストどうなったのか。その多くは語られないし、正体も終盤で何となくわかるが、それまでは微妙なラインを演じ切らなければいけない。しかし、永野芽郁さんはそのあたりが絶妙で、何よりも少女的な透き通った魅力がぴったりなのだ。
また、佐野史郎さん演じる大学教官は出番こそ少ないものの、この人物の行動が後の伏線となっており、おそらく、この教官も主人公と同じ体験をしたからこそ、歌をつくれと言ったのだなと思わせる。

また、主演の橋本愛さんも魅力的で永野芽郁さんと染谷将太さんに囲まれて中央に立つ説得力があるのだが、染谷将太さんの演技のうまさは本作でも光るものがある。飄々としていて、社会不適合者だが人のいい、でも、個性的な青年をうまく演じる。また、「ポンチョに夜明けの風はらませて」の時もそう思ったが、染谷さんが歌うといいシーンができる。不思議な魅力があるのだ。

邦画を観ると、芝居が気になって集中できないことがあるが、本作は自然な演技(それでいて、それぞれの個性もある)で、そういう色々なことを考えなくてよい。それは何も役者の演技に限らず、作品全体が透き通ったやさしい、しかし、個性のある何かで満たされているのだ。その統一した世界観をつくりだしたところに、監督の力量があり、何よりもその世界観が井の頭公園や吉祥寺そのものとつながっている。それがいい。


(※)本作は、映画「イエスタデイ」と通じるテーマがある。ただし、スペクタクルかつスキャンダラスな仕掛けで見せるのが「イエスタデイ」であったのに対し、本作は私小説的なあるいは純文学的な方法でみせていく作品なのである。