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祖国 イラク零年
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祖国 イラク零年の作品紹介

祖国 イラク零年のあらすじ

2003年バグダッド。大家族の生活はアメリカの侵攻で大きく変わっていく。2年間にわたる記録を通し。戦争に侵食されていく日常を鋭く描き絶賛された。

祖国 イラク零年の監督

原題
Homeland/Iraq Year Zero
製作年
2015年
製作国
イラクフランス
上映時間
334分

『祖国 イラク零年』に投稿された感想・評価

Osamu

Osamuの感想・評価

4.0
昨年2015年の山形国際ドキュメンタリー映画祭の優秀賞、観客賞作品。

2003年イラク侵攻が始まる前と、首都が陥落した後のイラク市民を映すドキュメンタリー。

侵攻前の第1部では、戦争への準備をする市民の姿が見られます。井戸を掘り、窓ガラスにテープを貼り、燃料・食料を備蓄する。その辺りは1991年の湾岸戦争以来慣れたもののようです。たくましいけれど悲しいですね。

首都陥落後の第2部では、米軍の誤爆で家を破壊された市民、賊に財産を略奪された市民、フセイン政権時代に身内を殺された市民などなどが声と顔で苦悩を訴えます。

国の政治情勢、街の治安状態が混乱を極めていても、その間、人生の時計が止まるわけでもなく、人は生きていかなければならない。この作品の趣旨とは違うのかもしれませんが、それをリアルに感じました。

そして、やはり戦争の理不尽さ。

この戦争にも大義が無かったことを市民の目線で証明する映画。

ドキュメンタリー・ドリーム・ショー 山形in東京2016にて。
CHEBUNBUN

CHEBUNBUNの感想・評価

5.0
【中東ドキュメンタリーの盲点、これぞ真の《この世界の片隅に》だ!】
新型コロナウイルスによるロックダウンや自粛で引き篭もり生活を余儀なくされている今、世界の映画クリエイターや映画プラットフォームは無料で様々な映画を配信している。VIMEOで山形国際ドキュメンタリー映画祭市民賞と優秀賞を受賞した5時間半にも及ぶドキュメンタリー『祖国 イラク零年』が配信されていると聞いて観てみました。本作は、イラク戦争直前にフランスから15年ぶりにイラクへ帰ってきたアッバース・ファーディルが失われていく何気ない日常を撮っていくうちに米軍を始めとする多国籍軍に侵略され首都陥落してしまった世界をアーカイブ的に映画にまとめ上げた作品だ。カイエ・デュ・シネマ編集部でもテン年代ベストに挙げている方がいる程戦争ドキュメンタリーとして重要な作品だが、実際に観てみるとその評判の高さの遥か上をいく傑作であり人類にとって負の映画遺産であった。

戦争や紛争地帯を撮ったドキュメンタリーはどうしても監督の強い意志によって、激しい爆撃や崩壊する医療現場を撮りがちだ。如何に過酷な状況を撮るかが重要になりがちだ。無論、そういった作品は傑作であることが多い。第92回アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞にノミネートされたシリア内戦映画『娘は戦場で生まれた』や『THE CAVE』は傑作であった。

しかし、この『祖国 イラク零年』を観ると、戦争や紛争と市民の関係は、もっとジワジワと悲劇が浸透していくものなのでは?と思う。アッバース・ファーディル監督は15年ぶりにイラクへ帰ってくる。家族とともに団欒とした日常が描かれる。料理を作り、ベランダでは子どもたちが庭の実を投げ合って遊んでいる。しかし、アメリカとの情勢が悪化し、テレビではサダム・フセインのプロパガンダが放送されている。町では有事に備えて準備が行われている。少年たちは、学校に行かず井戸掘りを手伝っている。

映画の前半では、首都陥落するまでの日常が描かれている。そこに描かれているのは紛れもなく我々が『この世界の片隅に』で目撃したゆるく笑いに満ちた生活と、その延長に薄っすら浮かぶ戦争の足音だ。ギャラリーでは戦死者のポスターなどが貼られているし、日夜テレビでは戦争のことが話されているのだが、現実味がない。市民も、子どもだって政治や大人社会の不条理について語るのだが、でも心のどこかには虚構なのではといった感情が揺らめく。商店街では、宝石商や職人、屋台のおっちゃんがせわしなく働いており、陽気な生活が持続されている。カメラはそんな日々を捉え続ける。

しかし、首都陥落後を描いた後編では一気に様子が変わってくる。車で移動するのだが、至る所に軍人がいて、「ここは軍が管理しているから通行できない」と追い返されてしまう。イラク国立博物館には戦車が鎮座し、少年は「アメ公さんや、お茶はイランか?」「魚持ってねぇか?」と煽っている。面白いことに、『娘は戦場で生まれた』とは違い撮影を止められることはなく、米軍と市民が仲良く記念撮影したりする光景はあれども、少し道を外れると、無数の弾丸や爆弾が落ちており、少年たちがそれを拾ってはドヤ顔しているところに不気味さがある。

首都が陥落しても日常は続いていた。そこにもどこかフワフワした感じがある。家はインフラが途絶えたのか、電気がつかず、ランプで灯りを作り出しているし、近所では簡易シェルターで暮らしている人がいる。ただ、市民は怒っていた。どこにもぶつけようのない怒りをカメラに向かって語りかける。映画関係者は、映画館が潰れてしまったこと、イラク映画史における貴重なアーカイブフィルムが破壊されてしまったことに怒りを露わにする。少年は、学校に2年も行けていないことに怒りを露わにするのだ。

そして、そんな静かなる怒りをよそに夜な夜などこからか銃撃戦の音がする。どこで銃撃が行われているのか分からない不安、いつ復興するのか、いつ平和が訪れるのか分からない地獄をただひたすら生きるしかない。彼らは笑って冗談を言っているように見えるが、そこには哀しみが見える。

戦場の恐怖を捉えることばかりに注目されがちなこの手のドキュメンタリーとして、ここまで自由にありのままのイラクの生活を捉えたのは本当に奇跡である。人類にとって大事な負の遺産としてこの映画を守っていかないといけないと痛感させられました。
フセイン政権が倒れる前後でイラク国内で暮らす人々を描くドキュメンタリー。
イラクに住んでいようとも、そこにある生活は私たちと何ら変わらない。そういう単純な事実を知れたことだけでも観れてよかった。これからイラクのニュースが流れるたびに彼らの顔を思い出すだろう。
イラクの人々が住む街は決してソドムとゴモラではない。米国侵攻のあとの無法地帯が早く収まってくれるよう願っている。