寺山修司・谷川俊太郎ビデオレター
谷 言葉にするとなんでもかっこいい
寺 言葉にしないと耐えきれない時がある
谷 流れている曖昧な感覚
寺 言葉が文字でも音声でもない意味だ
意味だけが壊れかけているものを建て直す ことができる そう思いたいんだけど
谷 意味という言葉に隠れた身体性
意味は必ずしも論理だけじゃない…
寺 薬を飲んでいる 裸の人もいた
犬に餌やり 粉 牛
意味も論理も書き手だけのものじゃない
半分は受け手が作り出すもの
無意味の中の意味を探す
無意味とはそれまでの自分の中にある価値や意味を超えたもののこと。つまり完全な無意味はない。場所によって無意味は異なる。
谷 命って意味以上のものじゃないかな
どうしても意味だけじゃ捉えられない
意味と無意味の間、意味ありげ。
言葉にこだわりすぎるとそこに行ってしまう
寺 意味と無意味がキッパリと分けられない
生きることは意味ありげ
谷川俊太郎
自分が誰かってことは、自分に聞いても他人に聞いても分からない。行為のうちにしか現れない。自分が傷つけた他人の顔を見る時いくら疑っても、逃れようもなく自分がここにいることを感ずる。 うたぐる
きっとその時言葉は眠るんだ。
言葉が眠るとき、どんな世界が目覚めるのかな