このレビューはネタバレを含みます
「聖なる鹿殺し」でも思ったけど、ヨルゴス・ランティモス監督は女性が男性の性処理をしているところを本当に機械的に淡々と撮るんだな。
汚らわしいものとして撮るでもなく、もちろん扇情的でもまったくなく、とにかく無機質で、生物の行動としてきわめて無意味でゆえに滑稽な、ただの排泄介助のような性欲の処理。聖なる…では手で、本作は尻だったかな。されている男性を見てもまっっったく良いなと思わない、むしろ哀れにすら見えてくる。
ヨルゴス作品から共通したモチーフの繰り返しを見つけるたびにこの場面ではどういった意味を持つだろうかと考えるけど、本当にこれ何なんですか?意味あるの?ただの趣味?だとしたら面白すぎるけどな。この監督のこと本格的に好きかもしれない。