オルキリア元ちきーた

ロブスターのオルキリア元ちきーたのレビュー・感想・評価

ロブスター(2015年製作の映画)
3.8
この世界では、成人後に独身であることは罪であり
社会から「人間扱い」されなくなる。

文字通り、外科手術を施されて様々な動物に改造されてしまう。

それまでの猶予は45日。その期間に更生施設で伴侶を見つけなければならない。

伴侶として認められる条件は、お互いに「共通点」があること。

鼻血が出やすいとか
近眼であるとか
足が悪い
サイコパス的な思考である
などなど。


そんな制度に反抗する地下組織もある。
一生独身であると誓い
森の中に潜伏し
変身させられてしまった人間だったかも知れない動物を狩って食べ
生死は自己責任で
楽しみはイヤホンで聴くテクノミュージックで独りで踊ること。

更生施設の独身者達は麻酔銃を与えられ、森に潜む独身者を捕まえる。
捕まえられた者は、捕獲者一人につき動物への変換を1日延長してもらえる。

独身者達もゲリラ的に更生施設を襲う。
番い(つがい)になった出所寸前のカップルやスタッフ達の寝込みを急襲し、銃とナイフで脅しながら
「お前はパートナーを本当に愛しているのか?」
「パートナーを撃ち殺せばお前は助けてやる。
お前が自分の頭を撃ち抜けばパートナーが助かる。
しかしどちらも生き残れば独身者になる。(=更生施設行き)

さぁどちらが生き残りたいか?」

と究極の選択を迫る。
どちらを選んでも不幸になる選択。
どちらを選んでも夫婦仲が深まる事はない。

そんな世界観…


ギリシャの変態映画監督ヨルゴスランティモスの2015年の作品。

「女王陛下のお気に入り」(2018)でこの監督を知り
「聖なる鹿殺し」(2017)で彼の変態っぷりにハマって
たどり着いた本作。
想像の斜め上を行っていて、観賞後にジワジワと、シュールな味わいの中の怖さというか、荒唐無稽な中のリアルなテーマ性とか、何とも言えない味わいが醸造されるこの感覚…

コレよコレ。コレがランティモスなのよ!

「女王陛下…」の時は「ガリバー旅行記」の話を引用。
「聖なる鹿…」の時はギリシャ神話を。

今回は「コレしかない!」と思ったネタがある。
それは、ネタバレも含むので、ここから先は自己責任で読んで欲しい。



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1933年にある小説が発表される。

登場人物は、ある資料を元に淡々と物語を読み進めていくスタンスで、ある一人の女性の生涯を紹介している。

その女性は盲目の三味線奏者で、美貌の持ち主であるが、気位が高く、並大抵の男では靡かない高飛車な性格。
その女性に少女時代から仕え続けた丁稚奉公兼三味線演奏の弟子の男性がいる。
二人は相思相愛に見えたが、高飛車な女性は格下の奉公人の男性を伴侶とは決して認めないまま、女王と家来の関係の生活をする。
ある日女性はトラブルに巻き込まれ、寝込みを襲われて顔に熱湯をかけられ、酷い火傷をしてしまう。
奉公人の男性は女性を気遣うが、女性は初めてその気遣いに甘え、醜い火傷の跡が残った事で弱気になり「見ないで」と呟く。

しかし、彼女の気位の高さこそが彼女の魅力であると信じる男性は、そんな弱気な彼女のために、その彼女の呟きを聞き入れ、縫い針で自分の目を突き刺し失明する。

支配する者とされる者
従うものと従わせるもの
そのパワーバランスは、実は相互に作用していて、真の「相手の全てを受け入れる」という事はどういうことなのか?
を究極の愛の形で描き出した
谷崎潤一郎の傑作小説「春琴抄」

谷崎潤一郎の小説では
盲目の女性・春琴が放つ「見ないで」という言葉を、奉公人で恋人である佐助が失明する事で忠実に守り、この主従関係が絶対的な二人の愛の形として結晶化する。
耽美な究極のラブロマンスだ。


しかし、ランティモスはどうだろうか?

独身者であり続けようが
パートナーを見つけようが
そのどちらも違和感がゴロゴロしていて
決してロマンスにはならない男女のラブゲーム?が展開される。

これから結婚を考えようとする人達には
この映画はオススメ出来ない。

男女が絡むシーンもあるのだが、エロいと言うより滑稽で萎える様な描写ばかり。

主人公デヴィッドは紆余曲折を経て
この人こそは!という女性に巡り合い
必死でその幸せを掴もうとしているのだが
その「掴み方」が違和感ありすぎてザワザワする。

果たして、本作の主人公と恋人は、小説「春琴抄」の様な究極の愛を貫く事が出来たのだろうか?



ザワザワしたまま放り投げっぱなしなランティモス節は、本当にクセになる。