YokoGoto

それでも僕は帰る シリア 若者たちが求め続けたふるさとのYokoGotoのレビュー・感想・評価

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日本人は、もう後藤健二さんの事は記憶の彼方だろうか?

ISに殺害され、この世を去った後藤健二さんは『何が起こっても、シリアの人を恨まないでください。』という言葉を残した。当時、盛り上がった『I am KENJI』というプラカード。でも、これも人々の一時のブームでしかなかったように、今や、シリアの事など、日本人の関心から消えていった。


あの時、私はこう思った。
『後藤健二さんは、自分の死が注目されるよりも、自分が生きている時の活動に注目してほしかったのではないだろうか?そして、たとえ死んでしまったとしても、自分が残した活動が、死後、より多くの日本人の目に止まってほしいと思って亡くなっていったのではないか。』と。
私は、SNSで『I am KENJI』とは掲げなかったが、ひそかに、彼らが命がけで活動している世界の現状に、少しでも興味を持っていこうと考えていた。


前置きは長くなったが、本作「それでも僕は帰る」は、2011年3月から始まったシリア危機のドキュメンタリーで、有名なシリア人サッカー選手、バセットが中心になって起こした、反政府デモの真実だった。

クラウドファインディングで、なんとか日本公開を実現した作品で、劇場数も少ない。しかし、こういう映画だからこそ、映画館でお金を払って観る必要のある映画だと思っていた。さらに、一部はシリア難民の支援団体に寄付されるのだという。

もうすぐ公開が終わってしまうので、なんとか滑り込んで観ることができた。

5年目に入るシリア危機は、いまや事態が複雑化しており、さまざまな反政府組織が入り乱れ、収拾つかない。本編は、最初、平和的デモで打倒アサド政権を訴えていたバセットらが、いかに武器を持って闘うようになっていったかの全記録だ。

ドキュメンタリーに収められている映像は、リアルそのもので、空爆の様子はもちろんのこと、リアルに銃で打たれるシーンや路上に横たわるご遺体も数多く映る。

作り物のフィクションとは全く異なるのに、あまりにも非現実的なその模様に、ノンフィクションなのにフィクションのように感じてしまうから不思議だ。
それほど、紛争とは程遠い平和な日本に住んでいる私たちの頭は平和ボケしているのだ。

正直、この映画から、何を感じ、何を学ぶのかは、人それぞれだと思った。

ただ、ひとつだけ言えるのは、よその国のものが、「あれはひどい、あれは良い」とラベル付けできるような単純な話では無いということだけは理解できた。

さまざまな人種、宗教、民族が入り乱れ、多様な価値観の中でうごめく国家の紛争は、日本に住む私たちのようなものが、単純に理解できるようなものではないということだ。

しかし、だからといって無関心、無興味はいかがなものだろうか?

今まさに、世界で起こっている事、そしてそれらにより起きている難民問題などを知ることは、表面的ではない深い世界の理解に繋がるのではないかと感じた。

バセットたちは国際社会訴え続ける。

「シリアのこの現状を知ってほしい。」

彼らにとってみれば、アサド政権よりも、国際社会に無視され続けることの方がつらいのである。

以下引用:@kenjigotoip
” 目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。-そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった。2010年10月07日 後藤健二


備考:
自主上映もできるようですので、ご興味あるかたはwebサイトで。
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