ノリオ

ワカラナイのノリオのレビュー・感想・評価

ワカラナイ(2009年製作の映画)
3.5
冒頭、スクリーンには何も映し出されずいとうたかおの『Boy』が延々と流れ、キャスト、スタッフがクレジットされる。
まるで今終わったかのような錯覚を感じさせ、ある種の倦怠感が充満し映画は始まる。

カメラと亮の距離感は近いようで遠い。
手持ちのカメラから映し出される映像は明らかに“何者か”の視点であることは間違いない。それが誰の視点なのかはわからない。

この映画に“切り返し”という概念は存在しない。
何かを見たいとき、その“視点”は振り返り、見上げ、見下ろす。

亮は決して他者とはわかりあえないと思っている。
社会は自分に手を差し伸べることはないし、甘えたところで誰一人振り返ることはない。

亮の置かれた状況は悲惨で過酷である。
けれどそれでも彼はどこかに希望をもっている。“何者か”とわかり合え、そして今よりもよくなればいいと感じているはずである。

カメラが映し出す視点は間違いなく観客の視点だ。
我々は亮に手を差し伸べることはできない。ただ見ることしかできない。
とてももどかしい、彼が状況をどう打開していくのか? 彼がどこへ向かうべきなのか?
彼には“ワカラナイ”かもしれない。
そしてこの映画はその“ワカラナイ”に明確な答えを提示しない。
小林政広は見る手に冷酷に突き付ける。

ラストシーン、彼がどこかへ向かう。
重要なのは行き先ではない、その行き先がどこであって欲しいかだ。


遠く離れていく亮を見ながら物語を反芻する。
そして“ワカラナイ”ことに対する答えを捜しはじめるのだ。
ノリオ

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