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四季~ユートピアノのayのレビュー・感想・評価

四季~ユートピアノ(1979年製作の映画)
3.0
映画をまだほとんどみてなかったころ、どうしてか出かけた是枝裕和監督の講演で、監督がすごく影響を受けたというNHKドラマの映像が一瞬流れた。海辺を走る馬がひく荷車に女性が乗りこむシーンをうっとりと解説する是枝監督の姿が目に焼きついて、どんなドラマか知りたくなってしばらく自分でも映像を探したけど結局はみつからなかった。最近思い出して検索したら、あっけないほど簡単に「四季〜ユートピアノ」のタイトルがヒットした。

人生の断片のエッセイというか、90分のドラマ自体、だからどうだという強い結論やメッセージはなくて、全体に夢みたいな質感がただよってる。

主人公でピアノ調律師の栄子の心には、いつもある音が響いてる。その響きを探る栄子の気持ちの流れと音楽とで、連続性のない場面、つながらない細かいカットがつながる。栄子のモノローグがずっとつづいて、それは誰かにあてた届かない手紙のようでいて、ありきたりでないことばをその場でつむいでうまれる詩。
幼いころの"死"の記憶が彼女の日々のベースにあって、でも線の太い感情の起伏を描くようなストーリーは存在しなくて、人との別れを繰り返しながらもはっきりとしたドラマとして物語られない。全体が少し物憂げなトーンではあるけれども、日常の気持ちの静かな高揚と、うれしかったこと忘れられないことの語りの印象がまさってる。

1979年の作品で、無骨だったりロマンティック過ぎたりなところ、整合性の面で苦しいところも。けど、講演の日みた海辺のシーン前後から手持ちカメラの動きと演技が吹っ切れたようにつながる語りには、部分部分はっとさせられる。

素人に近いキャスティングで、特に栄子が台詞まわしに縛られてない。"こうあるべき"と感じることと矛盾してしまう自然な気持ち、つい見逃してしまいそうなつかのまの鮮烈な感覚も、カメラ目線も、映像にそのまま閉じこめられてる。だから、ときどきめちゃくちゃ古びない瞬間、演技してないし意味もなくてただただ親密なだけの瞬間が混じる。ささやかで決して持続しない、妙に鮮やかな記憶。どのカットがすぐれているとかいうより、小さな記憶の入り口が映像のなかにたくさんあって、みる人個々のあの日あのときとつながってく感じ。
音楽と演者やカメラの動きと短いカットの、感覚的で独特なテンポの重なりあいは、偶然性も作用して新鮮さや心地よさが出てうまくいったり、印象のないまま均質に流れてしまってうまくいかなかったりする。

少女マンガを読んでるのに近い感触。これがいきなりぽんとテレビ放映されたら、当時としてはとても斬新で、伝わる人には伝わって特別で感情的なつながりをうむ映像だったんじゃないかなと思った。是枝監督のことはわからないけど、ずいぶん前にみたきりの「花とアリス」「Love Letter」などの象徴的なシーンを思い返しても、岩井俊二監督は、佐々木昭一郎氏のドラマに無邪気にストレートにオマージュを捧げている。テレビドラマとも映画ともつかない作品でソフト化もされず丸ごと消えてしまいそうな、なんともはかなげな存在なのだけれど、佐々木ドラマのエッセンスは後の世代の源流のひとつとなってたしかに引き継がれてた。
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