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スター・ウォーズ/最後のジェダイのeucalypsoのレビュー・感想・評価

1.0
語弊はあるけど、中身なくても外見あってのスター・ウォーズ。なのに、本作は肝心のヴィジュアルが弱い。

前作のミレニアム・ファルコンとタイ・ファイターのドッグファイトと比肩しうるシーンがない。雪原の戦いでエピソード5の焼き直しをするなら、あのメリハリ効いた作劇ごとコピペしてほしいし、宇宙でも惑星でも、ファースト・オーダーは左、レジスタンスは右という定位置が多めで、平板な紙芝居っぽい構図が続くので、画面に没入しづらい。

レイアの空中浮遊はそこまで気にならず、赤一面の能舞台でのレイ、レン、スノークによるハリー・ポッターばりの三つ巴の戦いも楽しく観れたけど、その後の宇宙戦艦ヤマトな特攻シーンでガクッと。

続くルークとレンの一騎打ち(ルークの肩を手ではらう所作、足が地面を踏んでも赤い土が露出しない、という細かい描写が◎)、からのフィンの特攻、ローズの場違いで陳腐なセリフ、ディズニーの化身にしか見えない銀狐にナビされての脱出、巨大な岩をなんなく持ち上げるインフレ無双のレイ、フォースを感得した魔法使いの弟子めいたホウキを持った少年、と一連のクライマックスのつるべ打ちでコレジャナイ感はマックスに。

ルーク→レイ、ヨーダ→ルーク、レイ→レン、レン→レイ、スノーク→レン、レイア→ポー、ホルド→ポー、ローズ→フィン。誰かが誰かの未熟さ、愚かさをたしなめるシーンが多いのも胃もたれ。

ルークの教えはレイに伝授されず、ルーク&レイアともスノークとも縁を切るレンがやってることは叔父と変わらず、えらく殺伐とした世代交代劇だなと。ファースト・オーダーもレジスタンスも戦争で手を汚してるという意味では一緒という視点も提示され、白黒つかないグレーな物語の出口は見えず。全部、次作にうっちゃり!

フォースは何でもできる超能力に、ジェダイは誰もがなれるニュータイプにと、ザックリしたアバウトな概念になり、ガンダム化も見え隠れ。

ヨーダが「過去に縛られるな、失敗から学べ」とルークに諭してたけど、ジェダイの格調高く深遠そうな東洋哲学はペラいライフハックな自己啓発に。

エイリアンは少なくなり、カジノには人間があふれ、家畜っぽい愛くるしい動物が増え、エキゾチックな異世界感が薄れ、地球に似た環境を舞台にした、ちょいSF風味の学園ドラマに。

人間だけの帝国軍に人間とエイリアン=人外や異民族の混成部隊である反乱軍が立ち向かうという、ルーカスが持ち込んだ文化人類学的な多様性=ダイバーシティの醍醐味は後退し、ジェンダーとしてのダイバーシティは前面に。

前作を引き継いだ監督がお話を自由に作っていいという、よく言えばオープンエンド、悪く言えばグランドデザインがない、行き当たりバッタリな製作手法が功を奏してるようには思えず、ストーリーやキャラクターには一貫性がなく、もはやSWである必然性も薄れてきて、いわゆる形骸化。

過去、大物監督にオファーして軒並み断られてる事実からも、ガチガチに固まった老舗のリブランディングは至難のワザだと思う。

エピソード5で脚本家のローレンス・キャスダンが最後にハン・ソロを殺そうとして、ルーカスがそんな80年代的な決まり切った手口はやめようと止めた話がある。

主要キャラを殺したり、特攻や自己犠牲で事態を解決するという、当時の日本のアニメや特撮にありがちな湿っぽいガラパゴス島国の空気に浸っていた身からすると、西海岸のカラッと明るいニューエイジをポップに表現したSWは眩しかった。それが、ここに来てガラパゴス化するのは、腑に落ちない。

レイアのホログラムをルークに見せるR2-D2、フランク・オズのパペットで蘇るヨーダ、瞬殺されるアクバー提督と、旧作絡みの小ネタには食いつく悲しいサガ。

鑑賞後、SWは名実ともに帝国に陥落したんだなーとなんとも言えない気持ちで映画館を後に。
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