ピロシキNo10

ブレスト要塞大攻防戦のピロシキNo10のレビュー・感想・評価

ブレスト要塞大攻防戦(2010年製作の映画)
3.5
監督は、草原の実験、の人。
出来は良い。

独ソ戦開戦時、最初の抵抗拠点であるブレスト要塞での戦い。NKVDの大部隊と赤軍が駐留していたが、要塞は一週間で陥落、投降。

残存兵力は、一か月程度抵抗を続けた後、壊滅。

戦後、英雄要塞に指定。

生き残った少年楽団員の回想の形で語られる。

侵攻前の街は、戦争映画では、観る事の出来ない美しさ。

ブレストには、8000人の兵士が駐留し、その家族300人が居住していたとの事。

うち、2000人が戦死、6000人以上が投降。そこまで大規模な戦闘とは思わずに観ていた。

現地は帝政時代に作られた、星形の要塞で、堀に囲まれている。五稜郭みたいなものか?
広さがあり、全周堀で囲まれているので、防御拠点として、有利だったのかも知れないが、3人の士官が拠点をつくり、どう抵抗して、持ち堪えたのかの視点が、気を散らしながら観てしまったせいか、判らなかった。

つうか、自動翻訳字幕では無理か。
まずは普通の字幕で観直さないと。

海外のレビューや、WIKIやらで、色々調べているんだが、なかなか理解が追いつかない。
  

ゴロゴロに死者が転がる戦場描写がメイン。
時間の経過は、繰り返す戦闘といつまでも繋がらないモスクワへの電信で。
そこに、語り手の少年のエピソードがちらほらと。

モスクワから1番遠い戦線なので、現代ロシアの紛争に近いロケーションなのかな、とも思う。

そう言った見方をすると、対ナチスプロパガンダは、割と棚上げ気味で単純に敵。
普遍的と言うか、汎用性が高い仕上がり。

尚、ポーランド侵攻でソビエト化した直後の土地なので、郷土愛で守っているのでは、絶対ない。くれぐれも注意を。  

党の意向も届かないまま、投降後も抵抗を続けた勇気ある部隊のハナシかも知れないが、舞台は占領地である。

この時期、ポーランド側は、25万人が行方不明のまま。二万強の将兵が、処刑されたカティンでの虐殺からも、間もない時期のハナシである。場所も遠くはない。

占領した土地は、絶対手放さない。本作の総意はそこかと、疑いたくなる。

まさか、ポーランドに向けた、被占領国としての自覚を促す映画でもあるのか。

銃無しでの突撃を、愛国心の発揚と見てしまうのは、日本人だけの発想かどうかは知らないが、決して馬鹿らしい指令を受けている様子でもないし、見せ場のひとつにはなっている。素手でも突撃しないと、後ろから撃たれるような描写は勿論無い。

ソ連軍の撤退禁止令は42年7月より。それ以前は、普通に投降していたのかもしれない。
だからと言って、NKVDが軍に友好的だったとは思えない。

感じの悪いヤツが登場しないので、党直属の政治将校が誰なのかを、つい気にせずにみてしまった。

ラストに映る、壮大な慰霊碑は、訴えるモノがあるが、続くエンディングが党歌じゃないので、203高地的盛り下がり。

評価の高い映画ではあるが、充分に要注意作品だと考えられる。

尚、本作の公開は、プーチンも参加した、カティン追悼集会のあった2010年。
映画カティンの森、公開が2009年。

はたして、新たな講和の年に、相手国の旧領をテーマに映画つくるものだろうか?。

セレモニーの実施は、ゴルバチョフ時代の講和、ではなく、プーチンの時代に、決着をつける、スタンスをはっきりさせる為のモノだったのでは。

本作はエラくドライなアンサームービーとして、機能したのではないか。

式典に急遽参加の、対ロ強行路線だったポーランド大統領は、専用機が墜落し死亡。
そんな不幸な事故も起きていて、アゴが外れた記憶も。



※ブレスト要塞の陥落自体、スターリン時代は国の恥として、封印されていたとの事。