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シン・ゴジラのMOCOのレビュー・感想・評価

シン・ゴジラ(2016年製作の映画)
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「どうするんだ。上陸はあり得ないと言っちゃった後だぞ」(大河内総理)

 不測の事態に対応しきれない政府のドタバタ劇。

 劇場公開時に観たのですが、ゴジラ映画としては最低評価しかできない映画です。
 そもそも現代にゴジラが出現したらどの様に対処できるか?などという発想でゴジラ映画を作るべきではなかったのです。
 強力な破壊力やミサイル攻撃にも耐えうる強靭な皮膚の持ち主を表現するのに解りやすい存在かもしれませんが、それは未知の巨大生物で充分表現できたはずです。レビューを見て、若い世代の人は今回初めてゴジラ映画を観たという人が多いことを考えてもゴジラを使う必要があったのか疑問です。

 この映画で初めてゴジラに出逢う若者は不幸です。これはゴジラ映画ではありません。

 庵野 秀明ファンにとっては庵野 秀明作品を観た充実感があるのでしょうがファンではない私は、何の満足も得られませんでした。むしろ悲しくなりました。

 2014年2019年のアメリカ版GODZILLAの方が日本の旧作品をオマージュしていて製作者がどれほどGODZILLAを愛していたか、よく伝わってきます。愛すべきGODZILLAを大人向けに作りたい気持ちがつたわってきます。しかしこの作品には愛すべきゴジラは存在しません。

 作品テーマも嫌いですが、鋭い眼光、凶悪な面構えこそゴジラの真骨頂、イモムシのようなゴジラやどこを見ているのか解らない視線のゴジラを登場させる時点でもう駄目です。もう一度観たい作品ではありませんでした。むしろ二度と見たくない映画です。
 ゴジラ映画への出演は役者にとってステイタスと言っても、こんなに沢山の出演者が必要だったのでしょうか?話題作り?推しの役者見たさの観客動員狙い?なのでしょうか?
 
 ゴジラ映画は「俺が作ればこうなる」ではなく「俺が作ってもこうなる」という基本路線が大事なのです。いつもどこか人間寄りなのがゴジラなのです。

 興行成績を重視するあまりゴジラ愛のない有名監督を選択してしまったのです。

 世間の評価のようなこの映画の良さが少しも判らない。1998年アメリカ版『GODZILLA』と『シン・ゴジラ』はゴジラ映画の仲間入をしてはいけない別物なのです(だからあえて『シン』と着けて別扱いしているのでしょうけれど)。
 ゴジラの名を語るエセゴジラ映画『シン・ゴジラ』に利用され、若者に変なイメージがついてしまった悲しいゴジラ💧💧💧。
 
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