風に立つライオン

ジェームス・ブラウン 最高の魂を持つ男の風に立つライオンのレビュー・感想・評価

3.8
 2014年制作、テイト・テイラー監督、プロデューサーにミック・ジャガーが名を連ねるジェームズ・ブラウンの人生を描いた伝記映画である。

  「俺のレコードを持っていなくても、
   あんたが持っているどのレコード
   にも俺の片鱗が入っている」by JB

 ジェームズ・ブラウンはファンクを生み出した立役者であることは知られている。その彼の生み出したファンクがその後の音楽シーンに多大な影響を与えたことは間違いない。
 
 アース・ウィンド&ファイアー、スライ&ファミリーストーン、ローリング・ストーンズ、マイケル・ジャクソン、AWB、ハーピー・ハンコック、プリンス、スティーヴィー・ワンダーなど彼らはファンクの真髄を自己の楽曲にふんだんに取り込んで来たと言っていいだろう。
 彼の生み出したファンクを言葉で説明するのは難しいが、この点は映画の中でも踊り出したくなるようなノリというアバウトな説明に終始している。
 
 映画の中で彼自身が語っているが、すべての楽器はドラムであるということをバンドメンバーに刷り込んでいる。
 音符の読めないJBがゴスペルとブルースのスープに漬けられ沸騰するような躍動感溢れるリズムで煮込まれるように育ってきたが故の本能的とも言える彼の知覚から発出したものであるかもしれない。
 2・4拍のスネアアタックがセオリーにも関わらず、それらを微妙にずらして小気味の良いグルーブを生み出す。
 マイルス・デイヴィスの「So what」からインスピレーションを得た「コールド・スウェット」は2小節パターンのファンクグルーブの典型例と言っていいだろう。
 元々彼は Big band Jazzが好きで、それをバックに歌うのが夢だったようだ。ただし、リズムセクションを強力なファンク部隊に変えて登場してきたのである。

 この変化のニュアンスを上手く表しているシークエンスがある。
 かつてのアメリカ南部アトランタ、白人達のパーティーの余興で黒人少年達の片手縛りで目隠しによるボクシング大会があった。
 リングのすぐ横では黒人らによるディキシーバンドが呑気なスイングを奏でている。
 黒人少年達が体に白ペンキで番号を書かれるのを見るバンドマン達の悲しげな顔が映し出される。
 JBは華奢ながらも勝ち進み最終決勝に臨むも途中で強烈なパンチをくらいリングに倒れ込む。 
 朦朧とした意識の中でバンドのホーンセクションがスウィングからタイトな16ビートのリフに変わるのを見る。
 そして起き上がり相手を叩きのめす。
 ここにJBの血の中にダンサブルな因子が流れていることが感じとれるのである。

 ところで彼の生い立ちや表舞台へどうのし上がって来たかは意外と知られてはいない。
 本編では彼の生い立ちが並進した時間軸の中で描かれているが、貧困と愛の不足した両親の元で凄まじい生活を送ってきている。
 青年期には服を盗んだ罪で8年の刑を受け服役もしているが、その間に刑務所慰問に訪れたバンド「フェイマス・フレイムズ」のリーダーである盟友ボビー・バードとの出会いによってバンドに加入、その後メキメキと頭角を顕わすことになる。
 リトル・リチャードとの出会いもJBに何をなすべきかという示唆を与えている。
 リチャードは言う。
 
   「表舞台に登場するようになると
    そこに悪魔がやって来る。その
    白い悪魔は『何が望みだ』と聞
いてくる。その悪魔と対峙する
    覚悟はあるか」

 そして後にJBの名マネージャーになるベン・パート(ダン・エイクロイド)が彼に近づいて最初に言った言葉は、

    「何が望みだ」

 映画ではJBのダークサイドも描かれている。バンドメンバーへのえげつなく厳格な対応、自信過剰で自己顕示欲が強く金にきたない。女癖の悪さ、薬物への傾倒など人間ジェームス・ブラウンが遠慮なく描かれている。
 それでも彼のやっていることは唯一無二なのである。
 エッジの効いたボーカル、グルーヴィーでダンサブルなサウンドはまさにジェームス・ブラウンの音楽なのである。

 ローリング・ストーンズを引き連れてアメリカへやって来たミック・ジャガーはトリとは言え舞台袖で聴くJBのサウンドに打ちのめされたと述懐している。

 この映画はそうした彼の実像を余すところなく捉えていて見応えがあり、そして何よりもあのファンクなノリが効果的に表現されていて鑑賞中も手足が自然とロッキングしていることに気付く。
 伝記音楽映画は斯くありたいものだとつくづく思う次第である。