ぱたんぐ

プールサイド・デイズのぱたんぐのネタバレレビュー・内容・結末

プールサイド・デイズ(2013年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

めちゃくちゃいい。
サム・ロックウェルかっこよすぎ。なれるもんならああなりてぇね。
ずっといいけどさ、いや、ずっといいね。
夏に見てよかったすね。ほんとに。来年も見ようと思う。スケジュールに加えときましょう。
いつか映画館でやるなら、どこでやろうと、見に行きます。

結局のところ、自分は誰かのヒーローになりたくて生きているんだと常々思いますけど。それがどんな形であれ、最終的にそういう風に発現できる場があってほしいと思うわけですね。
まぁでもそういう目的であらゆるものごとに取り組みたいとは決して思わなくて、自分本位で突き進んだ先にそういうものとしてなれればよいというだけで、結局他者から見た自分は副次的なものでしかありえなくて、自分が根本にあるべきだし、そういうものだと毎秒思ってる。
もちろん社会に生きる上で、他者の視線とかそういうものが取り払えないのはその通りだけど、結局のところそんなものはどうだっていいわけでして。そういうものに気を遣いながら、生きられるならそれに越したことはないとは思うけど。


生きる、ってこととは次元が異なるところの話をします。もっと小規模な話。
社会の中には、いろんなコミュニティがあって、その中で自分がどんな人間であるかはほんとにそのコミュニティの数だけあるわけでして、今隣にいて黙りこくってる物静かな彼が、とあるコミュニティではすごくおしゃべりな人気者である可能性もありますね。
それが家庭の中と学校で違ったりするもので、親が三者面談で先生から子供の様子を聞いて驚くみたいなのもよくある話すね。
そういうことって自分も含めて、結構な人が当てはまる気がするけど。正直どれが正解でも間違いでもなくて、全部同じ人なことには違いないので。当時の伊藤少年は別にそれで悩むわけでもなければ、友達に相談したりするわけではなかったのですが。今もそういうところを引きずってるし。でも最近になってようやくそういうものに折り合いがつけれるようになったというか、きちんと論理を立てて、というか納得できた気がする。
そういうものをキャラって言ったりしますけど。別にどっかでキャラがあろうが、なかろうが、変な風だろうが、どうだってよくて。自分の居たいように居ればそれでいいんすわね。単にそれを意識的にやるか、無意識的にやるかどうかの違いであって、表に出る形はどちらであってもあんまり関係ない。
キャラをつけることと深く関係すると思うけど、他者の目に触れて生きるってことは結構その他者が誰であるかに依存してる気がする。
コミュニティの中で自分がどのようであるかを決定するのは自分なことは間違いなくて、じゃあそれをどうやって決めるかはそこにいる人をみるしかなくて、その人たちに自分がどう思われたいかに大きく依存してるんだと思う。どうでもいいと思えてしまう相手にも愛想を振りまけるほど自分は器用ではないと思うし、そうあっていいと思う。けどそれは当然自分にも返ってくるものであって、これから出会う誰かにもそういう風に思われる可能性を常に秘めていて、その人に見限られるのかもしれない、自分がさっきそうしたように。
それでいてもなお、目の前の人にいくら愛想を振りまいたところで、偽っているのではいつか気付かれるだろうと思うわけでいて。
そんな風に考えると、やっぱり社会に生きる上でも他人よがりには決してなれなくて、探り探りながら、自分とか、生とか言われるものを全うするしかないのかもしれない。
社会の、コミュニティの中で生活することが、生きるということのすべてではないとしても。
ぱたんぐ

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