しゃび

チョコレートドーナツのしゃびのレビュー・感想・評価

チョコレートドーナツ(2012年製作の映画)
2.0
この映画、公開当時に観てピンとこなかったのだが、ずっと気になっていたので再鑑賞した。当時、ピンとこなかった原因が分かった。

マイノリティを描くときに、二つの道がある。

・問題を描くのか
・人を描くのか

当然両方描くのが本来なのだけど、
力点をどちらに置くのか決めないと、映画は散らかってしまう。

この映画は圧倒的に前者だ。

LGBTに対する社会の冷遇
ネグレクト
児相問題(日本で言うところの)

世の不条理オンパレードだ。

「障害者」という言葉は「障害を持った人」ではなく「社会の不整備によって不便を抱えた人」という意味だと思う。

要するに「世の中に課題がある」というフラグが「障害」という言葉だ。
近視はメガネとレーシック技術がなければ立派な障害者である。

本作のような映画のおかげで、社会の俯瞰しづらい現実を僕たちが確認できる。


しかし。

この手の社会問題を取り扱う映画でありがちなのが、人物描写の雑さだ。ピュアなマイノリティと性悪なマジョリティ。対照的な両者を際立たせることで、問題を強調する。

ぼくはこのやり方があまり好きではない。

なぜなら、この世は善か悪かの二局構造ではないからだ。人は誰でも善であり悪だ。
弱い生き物なのでその間を行ったり来たりする。

それでも愛らしいのが人間なのであって、善だから愛されるのではない。

ここを外してしまうと、
映画はハリボテのエンターテインメントになる。

ぼくはこの映画に出てくる3人を見て、「ピュア」以外何も感じなかった。
「チョコレートドーナツが好き、ダンスがうまい、人形が好き」という取ってつけたキャラ設定をしたところで、人間性には迫れない。

少し強い表現になってしまったが、
好みの問題ということで許してもらえると嬉しい。


【ここから落書き】

マイノリティが社会において権利を勝ち取っていた歴史がある。

難しいのは「正論を言うこと」は社会を変える力になりにくいということ。
社会を変えるのは2つの力だと思う。

・影響力を持つこと
・社会的メリットを訴求すること

社会は強者が動かしている。
これだけ、少子高齢化が叫ばれていても、子育て世帯に優しい法改正が行われにくいのは、彼らが票田ではないからだ。
要するに「子育て世帯に優しい世の中にならないと、少子化は防げない」という正論に力はないということ。

LGBTが少しづつ市民権を得つつあるのは(課題は多いけど)、LとGとBとTがスペクトラム化したからだ。性自認という考え方すらなかった社会はTが繋がることで「認知」を得た。

影響力をもつとはそういうことだ。

映画は人の心を刺すことができる。
「マイノリティ」はハードではなく、人であるということを訴えることができる。

ぼくは『タンジェリン』を観て、彼女たちと友達になりたいと思ったし、『フロリダプロジェクト』のあの親子がどんなに悪事を働こうとも、彼女達が大好きだ。

ダイバーシティとはより豊かな社会であり、誰にとっても目指すべきものなのだ。
だって、シンディ・アレクサンドラと友達になりやすい世界の方が圧倒的に楽しい。

ほらメリットあるよね。
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