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チョコレートドーナツのmfのネタバレレビュー・内容・結末

チョコレートドーナツ(2012年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

1979年カリフォルニア。ゲイバーのショーダンサーとして働くルディの店に検察官のポールが客として訪れ、二人は出会う。ルディの住む部屋の隣接には一日大音量でロックンロールを流しながらヤクをキメる母親と、その子、14歳のダウン症のマルコが住んでいた。
母親は薬物犯罪で三年の刑を科せられてしまい、マルコは独り身となってしまう。障害を持って産まれ親無しの身となったマルコを、ルディは身を引き取って家族として、迎え入れようとする。自分に罪は何一つないのだから、これ以上不幸になる必要はないと、ルディは深い愛情を持ってマルコを育てる。
ルディとポールはマルコと暮らし、マルコが人形が好きな事、ディスコダンスをクールに踊る事、いつもハッピーエンドの話を聴きたがる事、チョコレートドーナツが大好きな事を知っていく。マルコに部屋与え、特別学校にも通わせ、マルコと二人の父親は幸せな日々を送る。
彼らはマルコを法的に育てようと、マルコの母親に証書にサインをさせる。しかし、司法は、二人がゲイである事をマルコを不適切な環境に置く事にこじつけ、ゲイカップルに障害者を育てる事を認めようとしない。そしてポールは、ゲイである事を社会不適合者としてこじつけられ、上司にクビにさせられてしまう。その後二人は黒人弁護士を雇い再び控訴するも、マルコの母親が出所して来た事を理由に棄却されてしまう。
母親の元に戻ったマルコだが、薬物依存が治らない母親は再び育児放棄し、マルコは「自分の家」を探し求めているうちに命を落とす。
ストーリーの最後には、ポールが関係者に宛てた、判決が果たして正しいものであったのかを匂わせるマルコについての手紙が読まれる。
そしてルディは'I shall be released'を哀しげに訴えかけるように唄う。


Any day now, any day now
I shall be released


本作は感動的なストーリーが売りの映画としてコマーシャルされているが、それがメインではなくメッセージ性に富んだ、正義とは何かを問う作品。

正義とは何なのか、正義とは絶対的な人の幸せを願う事であり、
何が正義なのかを判別する法とは、人の人生に則したものであるべきであり、それもまた絶対的な人の幸せを願うものであるという事を訴える映画だと感じた。
mf

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