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午後の網目のkuuのレビュー・感想・評価

午後の網目(1943年製作の映画)
4.0
『午後の網目』 Meshes of the Afternoon
1943年/14分/共同監督:アレクサンダー・ハミッド/音楽:テイジ・イトー/出演:マヤ・デレン、アレクサンダー・ハミッド
道端に落ちとる一輪の華。
マヤ・デレンの影がそれを拾い、
やがて彼女は家の扉を鍵で開けて家に入る。
部屋のなかにはパン切りナイフや受話器の外れた電話。
彼女は階段を上る。風にたなびくカーテンと空転するレコード。彼女は椅子に座り、瞳を閉じる。
その傍らに同じ彼女が立ち、窓の外を眺める。
デレンは夢を媒介にしながら、内面の探求に向かったが、同時に映画そのもの構造をも探求した。
死と云うものの憧れに似た情念てのを描いてるんかな?
一輪の華、鍵、ナイフ、鏡、なんかのサインは意味深に用いられてるけど、死とドッペルゲンガー(分身)の連想したモンを反復しながらちょっとずつず転置して行くことで生じるテンポてのを楽しむ映画なんかもしれへんなぁ。
至る所に明度(明るい・暗い)・彩度(鮮やかさ)など、画像コントラストがくっきりしとって、午後のアンニュイ(けだるい)な感じも受け取れる。
夢に夢が割り込んでくるネスティング(入れ子構造)を、ブルース・リー哲学的に、考えず感覚で受け止めればまぁ楽しい構造かな。
ほんで、監督本人がそれを演じて、監督自身の家を舞台の場所にしとることで自撮り的な意味合いもあるんじゃないかな。
ストーリー性よりも、映像そのものとか、視覚直感性重視みたいなんを楽しむ映画すね!実験的な手法とか書いててあったし。
余談ながら、アバンギャルドてのはフランス語の『avant-garde』が語源の外来語だそうです。
軍事用語の『前衛部隊』ちゅう意味の語が、芸術用語に転用されて使われるようになったとさ。
時代における『時代の先端をいく革新的な芸術活動を行う人やその芸術』を指し、
各時代におけるアバンギャルドは、絵画、音楽、映画、演劇、舞踏など芸術的表現を行う幅広い分野に存在する。
前衛美術や前衛音楽などといった呼称も、アバンギャルドを示す同じ意味で使われてて、
ファッションなど創造性が求められる分野でも用いられる。
まぁその意味でまぁ監督のマヤ・デレンはアヴァンギャルド映画の寵児で、長寿できなかった夭折の超人芸術家ってことかな。ウキウキ。モンキッキー🐵
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