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それでも夜は明けるのkuuのレビュー・感想・評価

それでも夜は明ける(2013年製作の映画)
4.2
『それでも夜は明ける』
原題12 Years a Slave.
映倫区分PG12.
製作年2013年。上映時間134分。

タイトルの
原題"12 Years a Slave."と、
邦題は『それでも夜は明ける』は
まるで
シミリー(直喩)🆚メタファー(暗喩)の表現対決やなぁ。
甲乙つけがたいけど、今作品の素晴らしさは、その率直さにあるかなぁと思う。
ストーリーテリングの面では劇的な緊張感はあまりなく(主に苦悩と搾取の記録やから)、奴隷制度の人間性を奪うような残虐性を観てる側に鯉口を突きつけていると感じたし、他の映画監督ではほとんど取り上げてへん領域やから、小生の私的ではありますが、原題をそのまま和訳にしてほしかったかな。

原作は1853年発表の、1841年にワシントンD.C. で誘拐され奴隷として売られた自由黒人ソロモン・ノーサップによる奴隷体験記
"Twelve Years a Slave"(12年間、奴隷として)。

米国南部の農園に売られたアフリカン・アメリカンのソロモン・ノーサップが12年間の壮絶な奴隷生活をつづった伝記を、「SHAME シェイム」で注目を集めたスティーブ・マックイーン監督( "The King of Cool"のお方ではない。映画『ハンガー』の監督。)が映画化した米国・英国人間ドラマ。

アフリカン・アメリカンを黒人と書くのはネガティブな意図はありませんので。
1841年、奴隷制度が廃止される前のニューヨーク州サラトガ。
ソロモン・ノーサップは自由証明書で認められた自由黒人(フリーネグロ - free negro、フリー・ブラック - free blackなど)で、白人の友人も多くいたバイオリニストのソロモンは、愛する家族とともに幸せな生活を送っていた。
しかし、ある白人の裏切りによって拉致され、奴隷としてニューオーリンズの地へ売られちまう。
狂信的な選民主義者のエップスら白人たちの容赦ない差別と暴力に苦しめられながらも、ソロモンは決して尊厳を失うことはなかった。
やがて12年の歳月が流れたある日、ソロモンは奴隷制度撤廃を唱えるカナダ人労働者バスと出会う。

黒人史研究者であるヘンリーなんちゃらって人(すいません失念しました🙇‍♂️)は、今作品に対して『米国の奴隷制度を描いた映画作品の中で、最もリアルで生き生きとした表現で描いた作品だ』と称してる。
個人的には異論がない。
マックイーン監督は、誘拐されて奴隷として売られた自由人、ソロモン・ノーサップ(キウェテル・イジョフォー)の恐ろしい体験を、沈着冷静に描いてた。
今作品の強みは、感傷的な表現やタランティーノ風の皮肉使わず(タランティーノの表現も時には素晴らしいけど)を避けた率直さにあるちゃうかな。
白人の奴隷所有者たち、中でもエップスは、自分たちの残虐性を心配したり、罪悪感を感じたりしない。
疑問に思うことすらない。
観ていて嫌悪感を帯びるんは、これらの所有者の硬直した考え方やった。
彼らは、家畜のように扱われている奴隷の苦しみには関心などない。
奴隷オークションじゃ、商人が少年の買い手に『立派な獣に育つやろう』と云ってた。
親切なオーナーであるウィリアム・フォード(ベネディクト・カンバーバッチ)でさえ、奴隷を対等には見ていない。
そのプロットは、将にタイトルで明白かな。
今作品の原作者ノーサップの1853年の回顧録の表紙には、ニューヨーク市民であるノーサップが、1841年にワシントン市で誘拐され、1853年にルイジアナ州の赤い川の近くの綿花農園から救出されたと冒頭に書かれている。
今作品は、とても良く撮影されたタブロー形式(活人画)のシーンの連続で、ノーサップが耐え忍んだ劣悪な環境の全貌を明らかにしてた。
所有者が奴隷を殴り、
監禁し、
さらにはリンチする。
そないな虐待を平然とやりよる場面が何度も映し出されてる。
彼らは、奴隷が自分たちと同じように家族との深い感情的なつながりを持っていることを想像すらできない。
ある人は、子供を連れ去られて悲嘆にくれる母ちゃんに、
『何か食べて、少し休んだらどうだ。。。お前の子供たちはすぐに忘れ去られるやろう』なんて云う。
小生がノーサップの体験を知ってるんは、彼がそれを書いたから。
マックイーン監督は、この本が自分にとってアンネ・フランクの日記と同じくらい重要なものだと感じ(1850年代にベストセラーになっていたにもかかわらず、奥さんから手渡され初めて知ったらしい)あまり認知されていないことに驚いたと述べている。
ノーサップは、
家庭的な男で、
教養があり、
文化的で、
優れたバイオリン奏者やった。
キウェテル・イジョフォーは、ノーサップの窮状に対する
困惑、
最初の絶望、
回復力、
そして尊厳と自尊心
てのを保つための戦いを巧みに表現していました。
彼に降りかかる出来事てのは、人が突如陥るカフカ的不条理。
マックイーンが描く奴隷が鞭打たれる様子には、時折、フェティシズムみたいなんを感じた。
苦しんでいる男性の体に魅了されているように。
人々が残虐な行為を受けている場面がたくさん出てくる。
個人的に衝撃的なシーンのひとつは、エプスの愛人である若くて美しい女性奴隷パッツィー(ルピタ・ニョンゴ)が登場する場面で、彼女の表向きの罪 は、石鹸を手に入れるために近くの大規模農園を訪れたこと(彼女の表向きの "罪 "は、近くの農園に行って石鹸を手に入れたこと) 。
エップスはこれを口実に彼女に鞭打つ。
奥さんのメアリー・エップス(サラ・ポールソン)に煽られた奴隷所有者の意地と悪意やった。
また、彼の行動には自己嫌悪がある。彼はパッツイに惹かれ、彼女の畑での驚異的な働きぶりを褒めながらも、彼女に対する自分の気持ちを軽蔑してる。
エップスは極端にサディスティックなキャラ(マルキ・ド・サドの提唱する究極の自由、あるいは放逸と、個人の肉体的快楽を最も高く追求することの次元があるなら、彼は低次元のサディスティック)。
小生も多少サディスティック気味ですがこのエップスのイニシャルのSかサディスティックのSは容認できないS胸糞かな。
ファスベンダーの俳優としてのテクは
、少なくとも何の共感も出来ひんキャラってのを、内面にある不安をほのめかすことが出来るかどうかにかかってたと思うし、それを見事に演じきってる役者魂は脱帽っす。
今作品の女優陣たちのキャラは、男性にはない複雑さを持ってた。
ニョンゴが演じるパッツイは、反抗的で謎めいてたし、
ポールソンが演じるエプス夫人は、強烈な嫉妬心を持ち、抑圧された不安定なキャラ。
それぞれの役柄を女優陣は確り演じてたと思います。
マックイーン監督は、奴隷所有者の内面や、彼らが、己の行動をどのように自分自身に正当化しているかについてはあまり言及してへんけど、彼らが悲惨で不幸な集団であることは明らかに物語ってる。
今作品はノーサップが自然と戦っているのではなく、彼の敵は同胞の人間やから、ハラハラさせられる素晴らしい作品でした。
登場するキャラの中には、違和感を覚える人もいた。
例えば、ブラッド・ピットは庶民的な大工を演じてるけど、まるでCMに出演しとるかのような風貌と声やったかな。
なんでも、余談ですがイタリアじゃ、この映画のプロモーションポスターには、主演俳優のキウェテル・イジョフォーの代わりに、ブラッドピットとマイケルファスベンダーを据え置いたそうっす。
物語を壊しとんのに、イタリア配給スタジオは、ピットとファスベンダーはイジョフォーよりもイタリアでよく知られていると説明しとったらしい。
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