尖ってますねぇ…。この映画が発するメッセージがうまく飲み込めない。『親密さ』に出てくる「言葉のダイヤグラム」の詩で喩えるなら快速電車のような感じ。でもこういった映画の方が印象に残るから個人的には好みです。
劇中に出てくる水と魚の喩え。魚は常に水の中を自由に泳ぎ回っている。水と魚が他者と自分の関係なのだとしたら、とどのつまり自分は他者に触れないと生きては行けない。たとえ自分が川底に潜む古代魚だとしても、結局は他者よって生かされている。
「不気味なもの」ってなんだろう。言い換えれば、得体の知れない気味が悪いもの。この得体の知れないものが理解の及ばない他者のことなのか、或いは自分でも掴みきれない潜在的な自己なのか、それとも他の何かなのかは分からない。
いずれにしても、不気味なものに触れないことにはそれが何なのか実態が分からず不安だけが残る。そういえば『ハッピーアワー』でも触れる、触れられることの大切さが描かれていたな。
触れないことで生じる不穏さがいつまでも心に引っ掛かる作品でした。