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オスロ、8月31日のkuuのレビュー・感想・評価

オスロ、8月31日(2011年製作の映画)
3.7
『オスロ、8月31日』
原題 Oslo, 31. august
製作年 2011年。上映時間 96分。
『わたしは最悪。』で大きな話題を呼んだJ・トリアー監督が、2011年に発表した長編監督第2作。自殺願望に取り付かれた主人公の人生最後の一日を痛切なタッチで綴る。
デンマークに生まれ、ノルウェーを拠点に活動するJ・トリアー監督。
2006年に長編監督デビューした彼が、長編監督第2作の本作では、ルイ・マル監督が1963年に『鬼火』として映画化した、フランスの作家P・ドリュ・ラ・ロシェルの小説『ゆらめく炎』の再映画化に挑戦。
物語の舞台をパリから現代のオスロに移し、麻薬中毒に苦しむひとりの男性が、孤独な一日を送った末、ついに自殺するに至るまでを沈鬱なタッチで描き、国内外で多くの映画賞に輝いた。
主演は『わたしは最悪。』のA・ダニエルセン・リー。

麻薬依存症患者のための治療と更生施設でリハビリに励む34歳の男性アンデルシュ。
退所を間近に控えたある朝、彼は施設を無断で抜け出し、近くの湖で入水自殺を図るが失敗。
その後、何事もなかったかのように施設に舞い戻った彼は、外出許可を得てオスロへと向かう。
そこで彼は昔の知人たちと出会って旧交を温めるが、実の妹からは会うのを避けられ、元恋人に連絡を取っても一向に返事がないまま、孤独な一日を過ごすはめとなる。

小生は比較的にガラの悪い、たちの悪い地域で育った。
故にとは語弊があるかもしれないが、同輩、先輩そして後輩に薬物依存に苦しんでいる人たちがおり身近で見てきた。
見てきただけの浅はかな知識ですし間違いも多いとは思いますが、薬物依存になると、家族や友人と疎遠になり、逮捕、拘禁されれば、必ず仕事も解雇される。
また、刑事罰を逃れ薬物依存症の治療をするにしても、心理療法、薬物療法、作業療法、生活環境調整を、患者の必要度に応じて組み合わせていき、依存期は心理療法、精神病期は薬物療法が治療の中心となり長期におよぶ。
刑期や長期入院などを終えて、社会復帰しても、働く場所はなく(あっても望むとこに就けるのは稀かな)、家族にも頼れない場合が多々ある。
自業自得と云う人もいる。
それは一理はあるっちゃあるが。
立ち直るきっかけさえつかめれば社会復帰はスムーズに行くのやろけど、社会は甘くない。
そないな問題やストレスは人に話せれば幾分か軽減でき、糸口も見つかりやすいが、連絡が取れる相手は刑務所や薬物依存症からの回復をサポート(多くの方が一生懸命薬物と戦ってはるが、一部はケツを割った人)で知り合った薬物依存の仲間など(依存者が悪いとは云わないが何の指導もなく無闇に同じ依存で苦しむ者が集まったとてロクなことはないと意)。
中には本当によい人もいるが親身になってくれる人などあまりいない。
本来は真っ当に生きてる人たちに相談すべきやけど、その真っ当な人たちとは時間などかあきすぎて腹を割って話すことができなくなってる。
こないな孤立が、薬物依存から脱することを難しくする要因の一つやと小生は思う。
司法や薬物依存の回りの者たちが厳しい処罰と、反省を求めるだけでは、クスリを断つことには繋がらないし、むしろ薬物依存者を追い詰めるだけかと。。。
故に小生は頼ってきてくれたなら微力ながら話を聴き手助けできることはしている。
ただ、それができるのは小生自身が天涯孤独の身だから身軽やし、多少の余裕もあるからとも云える。
そんなこんなを踏まえた上で今作品を鑑賞するに、依存と戦う人がどないしてスリップ(再発)しちゃうか上手いこと描いてた。
勿論、一つの出来事(要因)でスリップするわけでもなく、今作品のプロセスが当たり前だとは思わないが、その点はかなり真に迫っていた。
リアルで親密な姿。
荒削りで、時に退屈さを感じんのは否めないが(興味がなければ面白いとは云えないかな)、時に生々しいく、この種のドキュメンタリーと同等に一般的な問題に興味を持ち考えれる。
ノルウェーの若い知識階級の理性は、アンチヒーローである今作品の逆に複雑な神経症を描くための完璧な白紙のキャンバスを提供してると思います。
主人公アンデルスは知的で才能ある作家で依存症によって不安感にさいなまれている。
今作品は、回復と退行の狭間で悲劇的に立ち往生するこの青年の人生で最も重要な瞬間に焦点を当てている。
ある瞬間では、希望のきらめきが散りばめられ、メランコリアに浸っている。
今作品の矛盾は中毒者の永遠のパラドックスであり、おそらくトリアー監督はそれを現代の人間の状態の寓意として提示しているんやろなぁ。
アンデルス・ダニエルセン・リーは謎めいた主人公を巧みに演じ、演技は終始一貫してリアルやった。
また、説得力があり、個人的には夢中にさせてくるた。
撮影(ヤコブ・イーレ)は、特に魅力的なサウンドデザインと相性がよく、非常に意識的な演出、編集、プロダクション・デザイン全般とともに、選択的でミニマルでありながら楽しめるほど豊かな美的感覚を持ってたし、技術的に優れた映画を作り上げている。
今作品は悲劇です。
そのシンプルでメランコリックなトーンと大都会の風景は、この映画を紛れもなくフランス・ヌーヴェルヴァーグを彷彿とさせる。
今作品はミニマルで様式化されており、シュルレアリスムに劇的な力を奪われることなく、社会的リアリズムを芸術的な形で表現している。
まったく説得力があるインディー映画の薬物依存回復テキストのインスタント・クラシックとなりうる作品やと思う。
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