テテレスタイ

ハンナ・アーレントのテテレスタイのネタバレレビュー・内容・結末

ハンナ・アーレント(2012年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

語ることの怖さが分かる映画。

ハンナ・アーレントというタイトルだけど、彼女の一生涯を語った伝記映画ではなく、アイヒマン関連の論戦を中心に描いた映画。

彼女はアイヒマンを平凡と称した。ただ何故、彼女がアイヒマンのことをそうだと確信できたのかが僕には分からなかった。直感だけでそう判断したようにも思えた。アイヒマンが平凡を装っていた可能性もあるし、なぜそう断言できたのだろうか。もしかすると、アイヒマンが悪魔であるという証拠が裁判で提示されなかったから、それならば平凡であると断定したのかもしれないが、でも、哲学者の立場ならば、語り得ぬものには沈黙した方が良かったように思う。分からないものはやっぱり分からない。

彼女はこのとき既に全体主義の起源という哲学書を出していて、これは僕の想像でしかないけど、もしかしたら、アイヒマンが平凡であることが、全体主義の起源で語っている内容と整合したから、それに飛びついたのではと臆見してしまう。分からないことを推測で断定してしまうと、こういう議論も出来てしまう。(こんなこと書くと怒られそうで怖いけど)

もちろん、平凡な人が巨悪の片棒を担ぐことはあるだろうけど、アイヒマンが平凡だったのかは別問題だと思う。その辺の問題の切り分けがちゃんとなされていないのは、当時もそうだったのか、それとも、この映画が曖昧にしたのかどっちなのかは分からない。

2011年にエルサレム〈以前〉のアイヒマンが出て、この映画はカナダで2012年に初めて公開されたわけだけど、まあ、確かに時期的には微妙ではあるけど、新しい本が出たのを知っていてこの映画を公開したとすると、どうなんだろう。

哲学者は普遍性を考える職業で、でも、個別の事柄に関しては何年もかけて地道な資料研究が必要になると思う。