Jeffrey

三姉妹 〜雲南の子のJeffreyのレビュー・感想・評価

三姉妹 〜雲南の子(2012年製作の映画)
3.8
「三姉妹~雲南の子」

〜最初に一言、二時間半に収められた雲南省の原始的生活を被写体との距離を詰めたワン・ビン監督の静謐な秀作である〜

冒頭、ここは中国西南部、雲南省の海抜三千二百メートルに位置する僅か八〇戸の家族が暮らしている村。両親の不在、出稼ぎの父、出て行った母。長女、次女、三女の過酷な生活、豚、学校、原風景。今、中国の景気の下にいる不幸せな家族の物語が始まる…本作は王兵(ワン・ビン)監督による二〇一二年の香港・仏合作のドキュメンタリー映画で、ヴェネチア国際映画祭でオリゾンティ部門グランプリ受賞を果たした秀作で、この度DVDを購入して初鑑賞したが素晴らしかった。彼の作品は過去に「鉄西区」「鳳鳴 中国の記憶」「収容病棟」「苦い銭」「無言歌」のDVDを購入して鑑賞していたのだが、この作品だけなかなか出回ってなくて、ようやく手にして観れた。本作は〇九年にバルセロナ現代文化センターに提供した二〇分満たない「Happy Valley」が、本作のネタになってるらしく、一〇年に山腹に位置する人里離れた村落にて、六か月をかけて撮影したとの事。この作品を見ると、中国の農村部と言うのは原始的な生活をしていて、活気あふれる文明社会は北京とその周辺だけだなと言うのをつくづく思い知らされた。


本作はワールドプレミアされた途端に、深い人間性、驚くべき映像、紛れもなく目を見張らせるとヴァラエティ紙が大絶賛し、見事グランプリを受賞した。出品する映画祭でことごとく賞に輝くワン・ビン監督の長編ドキュメンタリーの中でも最高レベルであろう。彼がカメラを向けたのは、中国で最も貧しいと言われる雲南省の山中の村に暮らす十歳と六歳と四歳の幼い三姉妹。母は家出してしまい、父は遠くに出稼ぎに行っている。わずか十歳の少女が母親代わりとなり、妹たちの面倒を見て、家畜の世話や畑仕事に一日を費やす。やがて、街から父親が戻り、子供たちを街に連れて行くことを考えるが、経済的な問題から、長女だけが村に残ることになる…と簡単に説明するとこんな感じで、風が吹き続ける中どんな環境でも輝く子供たちの命を見事に映し出し、当時まだ一人っ子政策が続いている中国にあって、三姉妹と言うタイトルに既に中国社会が抱える問題が露呈されていると世界的に評価された。ちなみに二〇一三年キネマ旬報外国語映画ベストテンでは第五位に輝いている。上映時間も一五三分と非常に長いが、標高三千二百メートルの雲南地方の村の原風景は記憶に残る。


本作は冒頭に、薄暗い蒸気の上がる家畜小屋で少女が座り込んでいるファースト・ショットで始まる。カットが変わると、言葉を話し、三姉妹がそれぞれ写し出される。英英(インイン)は焚火をしている。カメラをそれを捉える。すると次女の珍珍(チェンチェン)が話してくる。危ないよ…と。粉粉(フェンフェン)は三女で珍珍が泣かせてしまう。それを長女がなだめる。カットは変わり、従妹の燕燕(イエンイエン)と小甫(シャオプー)がカメラの前に現れる。そして親戚一同で食卓につきご飯を食べる。カメラはそれをゆっくりと捉えていく。カットが変わり、家畜用の太った豚が数匹泥道を歩いてゆく。その脇には三姉妹がゆっくりと歩いているのを後ろから固定ショットする…中国って言うのは豚を主に食するから豚というのがすごい大事なんだなぁと言うのはやはりこの映画を見ても分かる。確か豚が食べられなくなると発狂するって言うのを昔、日本人に帰化した石平さんが言っていた。てか、タイトルに姉妹と書いてあるからみんな女の子なんだなとわかるんだけど、次女が短髪でどっからどう見ても男の子しか見えないのだけど、俺だけかな? (笑)。


あの九時間を超える三部作のドキュメンタリー大作を経て、ワールドスタンダードにドキュメンタリーのフィールドで傑作を作り続けているワン・ビン監督は酷たらしい中国の好景気に生きる者とそうでない者との差を上手く描いているなと…特に中国国内で最貧困と言われる雲南地方の村のあまりにも観るも無残な光景は脳裏に焼きつく。中国では人生を謳歌することができないんじゃないかと思われる位のショックがあった。3人だけで暮らす幼い姉妹、この時点でもはや非現実的であり、孤独の中に尊厳なんてものは微塵もない。両親が家にいるのは(離婚していなければ)ごく当たり前だが、この三人の暮らしには母親の姿も父親も不在である。母は家を出て、父が出稼ぎに行った。近くに叔母と祖父がいるものの、姉妹は自分たちだけで生活しているのだ。僅か十歳の長女が母親代わりとなり、妹たちの面倒を見て、家畜の世話をし、畑仕事に日々を費やす。それを優しい眼差しで、ときには激しくカメラを流し、手持ちカメラの臨場感をたっぷりに画面に植えつけさせ、町から父親が戻り、子供たちを家に連れて行くことを考えるが経済的な問題から長女だけが村に残ることになると言う展開だ。

経済的な問題と言うのは、全世界にあると思うが、裕福であるとされている現代の日本から見れば、おおよそ信じがたいものが目に映る。確かに戦後日本の貧しさと言うものはあり、雲南地方のその貧しさとほぼ変わらないものだと言える。そして子供はどんな環境でも輝きに満ちていると言うのが、この映画から伝わるメッセージのーつだ。さて、本作はわずか二十日間の撮影で記録したとされており、ワン・ビン監督ならではの被写体との特別な距離が保たれている。彼の作品を見てきた人にはわかることだが、距離が非常に近いのだ。どうやらこの作品を撮るきっかけになったのが、監督自身が知人の家に行った際に、この三姉妹に出会ったことから始まったそうで、六カ月間かけて時折、雲南に出かけては撮影すると言う感じで制作したそうだ。編集にはかなりの時間を要したと言っていた。カメラの存在を薄める訳でも無く、インタビューで説明するわけでもなく、何かを子供たちから聞くわけでもなく、淡々とカメラを回しているのだ。

しかも監督は当局の許可を得ないで映画作りをしてしまったのだ。雲南では、高地に暮らす村民の貧困を解決するため、低地への全村移住政策が推し進められているが、本作が撮影されたシーヤンタン村も決まっていた様だ。ちなみに村人はどこに移住されるか分からない状態なのだ。このドキュメンタリーの画期的なところは、政治的なメッセージを極力抑え、急激な経済的成長を成し遂げた中国を、映像の中の貧困で格差を映し出している点だ。だから、北京オリンピックを成功したとしても、地方の農村部は原始的な生活をして、その格差は天と地の差であるようなことは、我々観客は驚かざるを得ないのだ。この作品の制作にはフランスと香港が制作会社として関わっているが、今の香港があのような状態になってしまったため、中国本土でチャイナ資本を一切入れないで撮影すると言うのはこれからワン・ビン監督には難しいだろう。

さて、印象に残ったのは、まず原風景の美しさ、ここまで貧しい家族がいるのかということである。さらに近所の少年が馬糞を拾う(仕事?)や、街から父親が帰ってきて長女を置いて、下の妹二人を連れてバスに乗って街へ行くまでの話だったり、長靴に穴が開いてしまい、足が濡れて嫌がる妹の姿だったり、お腹がすいたらじゃがいもを食べている様子、唯一電気が通っていて、テレビを見ながら食事している小さな子供たちの箸の使い方、仕事を手伝う代わりに食事を分けてもらう三姉妹、おじいさんが父親に娘たちのために嫁さんもらわなくてはなと相談する場面などもすごく胸に迫るものがある。それと外で豚を殺して解体しているシーンなどもグロテスクだが、非日常的ではないのだこの家族にとっては。それが常に常識、考えてみて欲しい。朝起きて自分の家から外へ出て、その目の前の閑静な住宅地の一本道の道路で豚を解体している人がいるだろうか、まずいない。この作品の学校の授業のシーンなどを除いては雲南の方言である。

しかも豚を食べて収穫の宴をするシーンで、農村復興の計画の目玉とされている医療保険で、十元(一五〇円弱)を払うのも大変と言う話に結論付くのを見ると、半ばえっとなる。この映画は学校の授業などでぜひ見せてほしいものだ。現代のイメージとかけ離れた世界がこの映画にはある。今となっては中国でも西洋文化に触れることができ、様々なものを画期的に扱い生産し、GDPも上げてきているが、その代償として農村地方に生まれている戸籍を持たない中国人たちが、その土台になっており、この映画を見ると人間性とは一体何なのだろうか、貧しさのために学校に行けない子供たちとは一体何なのだろうか、経済成長による旨味が全く得られない雲南地方を始め、農民たちは一体何を希望にして生きているのだろうか…その答えが希望なく生きていると言うことに結論づけているため非常に胸くそも悪く、非常に悩まされ、考える時間を与えられた。

何十億の人民を奴隷とし、戸籍を与えず、盛んな地域(北京、上海、青島)などに近づけない中国共産党の横暴な姿勢にはほとほと頭にくるものだ。まっとうな人生、まっとうな生活、それを得るためにわれわれは手足を動かして、その原動力を消費と言う形で見出しているが、このワン・ビン監督が今回とらえた原始的な生活をしている家族には一体何が残されているのだろうか…とエンディング・クレジットが流れ終わるまでずっと考えてしまった。やはり余韻が強く、少しばかり雲南のことを調べてみた。まず雲南省と言うのは、中国で最も貧しい地域のーつで、雲南省自体は二〇〇〇年代から開発が推し進められているものの、この村は高地であるためにインフラ設備も十分でなく、二〇〇七年まで電気も設備されず、電気が通ったのが中国で最も遅い地域と言うことである。中国西南部、雲南省の海抜三千二百メートルに位置する、わずか八〇戸の家族が暮らしている村で撮影されている。

その標高のために穀物も収穫できず、じゃがいもだけが人間と動物の可能な限りの唯一の食物であるらしい。村の中央には、この辺の唯一の飲み水である小さな川が流れている様だ。谷を降りたところには村の子供たちのための学校があり、三人の先生が中央政府によって派遣されているそうだ。家々は、土壁と藁の屋根でできている。各各の家族は、わずかばかりの擦り切れた木の家具と今時はお目にかからないような古い農機具を少しだけ持っている。家はどこも暗く湿っぽいのは映画を見れば一目瞭然だ。そもそも電気が通っていないのだから。中国の他の多くの地域と同様に、若者はより良い人生を求めて村を離れてしまうそうだ。今の日本でも地方から東京に行ってしまう若者が多くいるのと一緒だ。村には子供と老人、村を出ることのできないわずかな大人だけが残っている。

ボロボロの服を着て、村人は毎日畑で働き、子供と老人は家畜の世話をするのがルーティーンである。親が家を離れ、老人とだけ暮らしている子供たちはほとんど教育を受けていないように見える。通学は家族にとってあまりに高額なので、子供たちは大体の場合、小学校までしかいかず、中には毎日畑仕事をするために学校に行けない子供がいるとのことだ。どの家族にも、三人から四人の子供がいる。通常、どの家族も娘を冷遇するらしい。娘が十四歳の誕生日を迎える前に、両親は夫を選び、数年後には結婚させる。村での生活はあまりに厳しいので、娘たちは家族が夫の両親からより多くの贈り物を受け取るために、少しでも豊かな地域から夫を見つけるようとする。そのため村の男子は妻を見つけるのが困難で、唯一の方法は、まだ子供のうちに親が縁談を決めてしまうしかないとのことだ。どうやら本作に出ていた三十七歳の父親は、精神的には暴力的なものがあり、数年前に彼の妻が三人の子供たちを捨てて村を出て、それ以来彼女からは一切連絡がないと言うのは、この性質に問題があったようだ。

わずかな土地と二頭の豚で、父親はその小さな家族を養う事をしているのがこの映画では少なからず写し出されている。そして高地の気候は厳しく、ジャガイモの収穫は年によって恵まれないこともあるそうだ。父親には、ここで毎年十分に暮らしていく自信がなかったらしい。そして彼は、娘達だけの村に残して、街に出稼ぎに行くことを決めたとのことだ。金がないためろくなものが食べられない分、三姉妹は実際の年齢よりも小さく見えてしまうのは、栄養不足だからだろう。父親がいない家の大黒柱は長女になり、一家を父親の代わりに背負っている立場なのだ。彼女は母親代わりであり、父親代わりでもある。そして幼い妹たちを懸命に育てているのだ。今思えば雲南省と言うのは中国の西南に位置しているため、北はチベット自治区で、西から南にかけてはビルマ、ラオス、ベトナムの三国と隣接していることがわかる(ビルマと言うのは現在のミャンマーで、唯一日本が独立をさせてあげられた国家である)。

というか今回舞台になっている村と言うのは、もともとイ族が住む土地だったらしい。よく中国映画を見ていると、いろんな民族が出てくる。そもそも中国大陸が中国だけのものではないと言う事は承知の通りだが、少数民族に対して行われた土司制度や改土帰流の結果、中国東部から移民してきた漢族が主要民族となったのだ。周辺には今もミャオ族の村落がある。そういえば去年見た旧作映画でダントツに素晴らしかった一本に名前を挙げた「山の郵便配達」と言う作品があるのだが、それにもミャオ族が出ていたような気がする。なんとか族は絶対に出ていた。もっと民族関係のことを知りたい人は国立民族学博物館外来研究員の伊藤悟の書籍やデータを見るのをお勧めする。そういえば医療保険費を議論するシーンでやはり我々にとってはわずかな金額だが、貧困村に住む大人たちにとっては凄まじく不安になるほどの大金で、強制徴収もあるため、収入を得るための有効手段として出稼ぎにいった父親が失敗して、その地方都市で知り合った女性とその子供を連れて村に帰ってきたときの得体の知れない感情が今も残っている。

出稼ぎに行って金を儲けたとしても、そこで数ヶ月間暮らすのだったら、その都市の割高な値段を支払えば、その分金はなくなりたまらない。この地獄のようなループが父親を苦しめ不安にさせているのだ。要は、現金収入があっても私生活は出費がかさみ、家族と別れて倹約生活を送らないと出稼ぎした意味がないと言うことだ。後に撮った「苦い銭」なんて、もろそう言うテーマだった。この映画自体すごいシンプルで、三人の姉妹の日常をただひたすら映すだけなのだが、なんで三姉妹なんだろうかと考えたときに、いわゆる父親はその妻と三度セックスをしていると言うことになる。漢族の伝統的な社会では、男子は労働力であり、家の跡継ぎになり、そして福をもたらすと言う考えが根強い分、きっとその父親が男の子が非常に欲しかったのだろう。しかしながら男を産めなかった。中国には人口増加を抑えるために実施されている計画生育がある。多分地域によっては人数制限とかも決まっているが、そこら辺はよくわからないから気になる方を調べて欲しいのだが、守らないと罰金支払うことになると言うのだ。それにしても村自体が移転するのだから、新しい環境で生きるために新たにそこの知識や技術を学び直さなきゃいけないと言うのは非常に一苦労だなと感じる。観て損なし。
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