Jeffrey

クレージーホースのJeffreyのレビュー・感想・評価

クレージーホース(1973年製作の映画)
3.5
「クレージーホース」

冒頭、手話のモノクロニュース。アデンの母の死、行方を追う警察、癲癇の発作を持つ子供、自然を操る力、砂漠、性行為、ガスマスク、蛇、排便、死骸、近代化都市。今、2人の男の友情が写し出される…本作はフェルナンド・アラバールが1973年にフランスで監督した映画で、日本では劇場未公開になっていた作品である。この作品の海外用ポスターが非常にお洒落でインテリとして欲しい位だ。この作品も冒頭から凄く、自然保護は大事ですとか言う手話のニュースが流れて、この監督地球温暖化とかに尽力するような半ば活動家的な人なのかなと一瞬焦ったがそんな感じではない。そのままの流れで、男の子のおち◯ちんに針を刺すグロテスクな描写に変わり、女性の舌に杭を突き刺すシーンに変わったと思いきや、今度は砂漠にゲイ刑事がやってくる映像になって、意味のわからないカットバックが並んで、その男のナニに女が火をつけるショットが写し出される。見てるこっちからすれば頭ポカーンと言う感じである。

したら、癲癇の発作を起こしてしまった少年が口から泡を吹いてしまうし、それもとある覗きを見てしまったからの結果なのだが、非常にわかりづらいクロスカッティングがなされて物語が全く把握できない。この作品の次回作の「ゲルニカの木」の方が順序通りに展開していくため、非常にわかりやすかったことがこの映画を見て改めて思える。警察の男が砂漠にいる身長の低い男にロープで首輪をつけられ犬のようにあしらわれたり、違う場面で裸にされた小さな子供が兵隊に一斉射撃されて血だらけになり倒れ込む描写など痛々しいのも挟まれる。したら、ガスマスクをしながら男女が性行為をしている描写になったり、奇想天外なファンタジックな力、昼の砂漠、夜の砂漠と自由自在に変えることができるその砂漠の小さな男性、そいつと警察が砂漠で排便する汚らしいのをシルエットで捉えたり「ホーリーマウンテン」かよとツッコミたくなるほどのレベルだ。流石、ホドロフスキーの盟友のだけはある。

さて、物語はアデンの母親が死に、彼女の宝石類も消えた。行方をくれましたアデンを警察は追った。アデンは砂漠へと逃げる。そこで不思議な生活をしているマベルと言う男に出会う。彼はとてもピュアで、そして自然を操る不思議な能力、動物たちと自由に話をし、昼を夜に変えることのできる能力者であった。2人は生活を共にし友情深める。そしてアデンの住んでいる場所に興味を示したマベルを連れ、2人は都会へと向かう…と簡単に説明するとこんな感じで、旧スペイン領モロッコのメニラ生まれの監督がホドロフスキーに指摘する表現方法で映し出した隠れた秀作である。まさにカルト映画の1本で、アートフィルムとも言える。

うーむ、やはりホドロフスキーの作品同様に評価がよくわからない。どうつけていいのか、とにかく別の宇宙を見ているかのような風変わりな作品である。楽しい、楽しくないとかそういう次元で語れるような物語ではない。宗教映画でもないしな、儀式映画…?ゲテモノ映画…よーわからん。しっくりくると言い回しをするならやっぱりカルト映画と単純に片付ける事だろう。女の口から歯を抜き取ったりベロを抜き取ったり凄い描写が不意に挟まれるのでインパクトがある。それに文明から離れているその能力者の男を大都市に連れてきてしまう警察、そこで繰り広げられるモラルなき対応の数々、圧巻である。

特に生きてるひよこを口にくわえて頭を引きちぎる男性の描写や、生肉にかぶりついたり生魚を顔にくっつけたりととにかく気色の悪い描写が多くある。一緒に連れてきた小動物の鹿みたいなのが一緒に行動するのだがら街中でしょんべんはするし、お前(監督)おちん◯ん、どんだけ好きなんだよってツッコミたくなるほどイチモツが大量に出てくる。人形でも出てくるし、しかも子供の玩具で。最終的にはカニバリズムホラー映画みたいになるし、おったまげ映画だ。
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