kuu

ビフォア・ミッドナイトのkuuのレビュー・感想・評価

ビフォア・ミッドナイト(2013年製作の映画)
3.9
『ビフォア・ミッドナイト』
原題 Before Midnight.
映倫区分 PG12.
製作年 2013年。上映時間 108分。
リチャード・リンクレイター監督、イーサン・ホーク&ジュリー・デルピー主演の人気ラブロマンスシリーズ第3作。

列車の中で出会ったアメリカ人のジェシーとフランス人のセリーヌが、夜明けまでの時間を過ごした『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)』(1995)、同作から9年後の2人を描いた『ビフォア・サンセット』(2004)に続き、前作から9年を経た2人の現在を描く。

双子の娘に恵まれ、パリで一緒に暮らすジェシーとセリーヌ。
2人は友人に招かれてバカンスのためギリシャの海辺の町へやってくるが、ジェシーは元妻とシカゴで暮らす10代の息子が気がかりで、セリーヌは環境運動家としての仕事に不安を感じており、それぞれ頭を悩ませていた。
そんな時、ジェシーがアメリカへの引っ越しを提案したことから、2人の会話は夫婦喧嘩になってしまい。。。

イーサン・ホークが、
『ビフォア・サンライズ』(1995年)をあるかもしれないこと、
『ビフォア・サンセット』(2004年)を
あり得ること、若しくは、あるべきこと、
そして、今作品『ビフォア・ミッドナイト』をあること、の映画として表現したそうです。
また、キャッチコピーは『 忘れられない人がいる、すべての人のための85分』とあり各々個人的には納得の言葉やと感じますし、サンライズが好きで、サンセットを感じ、残酷だけどミッドナイトを生きたい思った。 
ロマンス映画には、理想を追い求める視聴者の思いとは裏腹に、フレームの外側で起こりうる数々の出来事や状況があり、
その結果、
幸せな結末を想定していたその関係性が強化されたり、
破壊されたり、
挑戦されたりすることがある。
このような不確実性が続くことを本質的に人生と呼び、現実主義者の視点は楽観主義者の希望を損なうかもしれません。
しかし、人生の挑戦に直面して培われる、あるいは亀裂が生じる関係という素晴らしい真実には、真の美しさがあると個人的には思います。
インディーズ映画デビュー作『スラッカー』(1990年自主映画)や、幅広い層に支持されるコメディ映画『スクール・オブ・ロック』(2003年)など、多様多彩な作品で知られる映画監督リチャード・リンクレイターは、『ビフォア・サンライズ』で9年前に初めて出会ったジェシー(イーサン・ホーク)とセリーヌ(ジュリー・デルピー)の恋愛模様を『ビフォア・サンセット』で再び登場させると、エンドロールを超えた人生の観念を理解した。
この独創的な映画シリーズ3作目『ビフォア・ミッドナイト』では、リンクレイターの一貫した繊細な観察スタイル、ホークとデルピーの熱演、それに人間関係や人生に関する哲学的なウィットに富んだ会話とか、ロマンチックな物語で知られるクリエイティブな定番が揃っている。
しかし、今回は、最初のロマンチックな始まりを越えて、はるかに感じやすく、緊張感があり、親しみやすいものに変化した関係の詳細を展開させてました。
リンクレイター、ホーク、デルピーの共同脚本は、彼らが創り出したキャラへの計り知れない理解を示し、ジェシーとセリーヌの人生におけるこの特別な回想の道中で、最も不快なほど感情的で、人生を豊かに肯定する、物語の小さな挿絵・飾り模様(ヴィネット)を提供してます。
生前は冷遇された詩人ジョン・キーツって人が
最初に匿名で出版された詩集『ギリシャの壺のオード』の中で
『真実は美、美は真実』という有名な最後のフレーズを書いたとき、彼は最も不快な真実でさえ、その存在を認識するだけで、強烈な美を持っていることに気づいたのであり、『珍』や、『奇』を求めては邪道なんだと。
雑器・民芸品のような映画作中であれ、そこに何らかの美が吐露されているならば、それは愛好されるに足る。
反対に高価な調度品であっても、それが大量生産で機械的ならば美は損なわれると個人的には思てます。
故に『ビフォア』のサーガはその種の美しい真実を明らかにする最も純粋な映画の練習の1つであると思います。
『ビフォア・サンライズ』と『ビフォア・サンセット』で描かれたロマンチックな設定を、『ビフォア・ミッドナイト』では最も論理的で同様に感情的な展開に拡大し、物語の強さとキャラの活気、そしてシリーズの哲学的重要性を、魅力的で楽しい方法で不快な真実を語り、完全に実現した痛々しいまでのハートフルな全体へと発展させた作品と云えるし、個人的にはとても嵌まった作品、及びシリーズでした。
kuu

kuu