湯っ子

メイキング・オブ・ドッグヴィル 〜告白〜/ドッグヴィルの告白の湯っ子のレビュー・感想・評価

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過去鑑賞記録。公開後少ししてからレンタルにて。
本編の衝撃もさながら、ラース・フォン・トリアー監督はもうやめとこ…となったのはこの作品きっかけだった。
「奇跡の海」を初めて劇場で観た時、とにかく圧倒された。自ら愛する人のために身を投げ出すヒロインに。
当時は入れ替えがなかったので、そして若く体力もあった私は、席を立たずにもう一度観た。
ベスは人魚姫だ。哀しく美しく崇高なヒロインだと思った。

次にトリアー作品を観たのが「ドッグヴィル」。
「奇跡の海」には心を掴まれたものの、「ダンサーインザダーク」はパスしていた。
「ドッグヴィル」の実験的で演劇的な設定に興味を持ち、恐ろしげな予感に慄きと期待を持ちながらの鑑賞。
当時は「胸糞映画」という呼び方がなかったのか、私が知らなかったのか、まだ一般的ではなかったが、これははっきり胸糞映画だろう。

そして、本編を観た興奮の冷めやらぬ間に、レンタル屋で見つけたのが、このメイキングだった。
ほとんどは忘れているが、スタジオに缶詰めにされてイラつく出演者たち、終始不穏な雰囲気。
何より私がこの監督ヤダ!と思ったのは、ニコールとのやりとり。
多分、ニコール演じるヒロインが強制性交させられるシーンなのだろう。演技を指示する監督がヘラヘラ笑っている。
ニコールが「こういうシーンを撮る時には、その態度はやめて」と毅然と言い放つが、監督はヘラヘラをやめない。
最近になって、トリアー監督がその後うつ病を患ったことを知った(その頃私は映画からは離れていた時期である)。精神的に不安定な天才の態度としてはあり得るものだと、今となっては好ましくはないが、理解はできる。が、その当時の私は若く、彼の態度は許し難かった。

ここからは、私の独り言です。
私がトリアー監督と一方的に決裂した後すぐに、私は母親になった。いわゆる胸糞映画には近づかなくなったし、興味を惹かれなくなった。
息子たちが少し大きくなって野球少年になると、暑い日も寒い日も太陽の下でプレーしている彼らの追っかけに明け暮れ、暗闇の中、スクリーンを見つめる回数はめっきり減った。
おひさまが出ていても出てなくても、空の下にいると、身体だけでなく、心の中まで照らされるのか、闇に惹かれることはあまりなかったように思う。
お当番やら、役員の仕事やら、熱中症やら、寒さやら、野球少年の追っかけは大変だった。
でも、幸せな時間だった。

今、息子たちの追っかけもひと段落し、自分ひとりの時間が戻って来ると、太陽から逃れて暗闇に身を浸し、スクリーンに映し出される全く知らない人間の心のうちや、見たこともないうつくしい世界あるいはおそろしい世界を見つめたくなる。

実際は、現在のコロナ禍によりスクリーンでの鑑賞は難しい。
もっぱら深夜のリビングで、夜な夜な配信サービスの膨大なマイリストを消化しては追加し、いつまで経っても観たい作品を観切れずにいる。
それもまた幸せだ。

トリアー監督のことを書いているつもりが、自分のことになっていた。私は映画レビューを書いているつもりが、自分の思い出話やら今の気分を書いてしまっていることが多い。それが何やら楽しい。私の状況というのはそう珍しくないと思われるので、同じような状況の人に共感してもらえたら嬉しいなと思う。

えーと、むりやりまとめると、最近の私なら、トリアー監督の鬱三部作に挑戦してみるのも良いかなと思っています。家族がいないところでね。
湯っ子

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