このレビューはネタバレを含みます
武の走る場面から始まった分途中混乱を来した気がする。武が走ることが中心なのではなく、飽くまでもジイちゃんという存在が中心である。
小学生にとって墓地とはどんな場所であるのか。その空気の中で武にとってのジイちゃんという存在を位置付けたのはうまかった。そして流れ星である。いつ降ってくるかもわからない。降ってきたとして願い事を3回言うなどほぼ不可能。それでも縋りたい武を観せられれば否が応にでも伝わってくる。
どこまで意図したかはわからないが、ジイちゃんとバアちゃんの名前というところを葬式という滅多にない親戚が一堂に会する場面で描いたのもうまかったように思う。娘たちですら滅多に帰ってこれないようだった。親戚なだけに下の名前でのやり取りが目立つ。バアちゃんは娘や孫娘を名前で呼ぶ。そしてタケちゃんと。そんな中ジイちゃんにはおとうさんという呼称である。
田舎(地元・過疎化の進む町?)における時代の変遷や若者意識を問いたい面もあったように思う。地元という繋がり・・・ 柚の木もこれと関連しているのだろう。その地に根付くということ。若者が都会に出て行ってしまう時代だという話は為されていた。バアちゃんは逆に若くして田舎に嫁いできた。
ただ走るというところに1つ駅伝を持ってくるのであればくどくても良いので全体で一貫して走りを繋いで欲しかった。父親が駅伝の選手であったこと、ジイちゃんがその監督であったこと、そして国体に出るまでの選手であったことで最終的に繋がってはいる。しかし駅伝を意識させているからこそ、途中走るというタスキが途切れているような感覚に陥ってしまう。これがジイちゃんとバアちゃんの過去回想にてうまく絡められなかったところだろう。申し訳ないが路面電車を追いかけるシーンでは賄い切れていない。
でも多分違うんだよね。ここで捉えるべきは時代の変遷を匂わせながらも私が途絶えたと思ってしまったタスキが最後武へと、今生きている者へと確実に繋がれたということなのだろう。
ラスト同級生の女の子に武が決意を語るシーン。個人的に待っているのではなく後ろから武が走って来てほしかったわけだが、これも駅伝のタスキ渡しの構図と掛けてるのかもしれない。彼女が武へ想っていたことがあったわけだが武はそれを受け止めきれなかった。しかし女の子を待つという行為で覚悟が現れ、彼女が武のところまで来たことで想い(タスキ)が繋がれ、想いを受け止めた武が走り始めた、ということとしても見ることができる。
所々気になるところが多々あるものの、それを加味しても「想い」というものが伝わってくるすばらしい作品だった。