河

キートンの華麗なる一族/キートン半殺し/キートンの猛妻一族/キートンの飴ン棒の河のレビュー・感想・評価

3.2
『The Baloonatic』『鍛冶屋』と同じく、バスター・キートンがどこかに現れるところから始まり、そこから去っていくことで終わる映画で、『ハイ・サイン』から映像的なトリックを抜いてアクションだけにした映画でもある。バスター・キートンの映画において、アクションは状況を悪化させながら逃亡するものとしておかれていて、映像的なトリックは状況を奇跡的に解決するものとしておかれている。バスター・キートンはそれぞれが自分の言語を話すために意思疎通のとれない町で、そのために気づいたら結婚している。そして、その結婚先の家庭から逃亡するが結婚がうまくいく、もしくは解消される訳ではない。この映画で、バスター・キートンはアクションを行うだけであり、状況は変わらないまま逃亡する。本当はアクションだけじゃなく映像にこだわって撮りたい人なんだろうと思う。
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