Jeffrey

KeikoのJeffreyのレビュー・感想・評価

Keiko(1979年製作の映画)
3.5
「Keiko」

冒頭、劇場の中。オフィスに勤める一人の孤独な女性ケイコ。彼女の日常、女子大を出てOLに、家族、社会人、自由と退屈。期待、平凡な毎日、好意、人の告白、お見合い、。今、一人の女性の日常が垣間見られる…本作はクロード・ガニオン監督による一九七九年のATG映画で、外国人として初の第二十回日本映画監督協会新人賞を受賞した秀作である。この度国内初BD化され、再鑑賞したがやはりいつ見ても素晴らしい。本作は 京都に暮らす独身女性ケイコの日常を淡々と描いたドキュメンタリータッチ風の映画で、主演を演じた女性は当時の京都大学の女子学生を起用した事でも話題になり、外国人監督が撮った日本映画である事もまた興味深い。

監督自身は"本作は日本での八年間での印象、体験、感想を僕の精神の集大成として映像化したものです"と答えている。この作品を見るに非常に意欲作だと感じる。ちなみにガニオンは東映映画の「必殺拳2」や「女必殺五段拳」などでボコボコにされてる悪役を演じている。

さて、物語は京都に暮らす二十三歳の独身女性ケイコは様々な恋愛を経験するも満たされず、会社の先輩女性と同性愛関係を経ての同居を始める。


本作は冒頭から惹かれる。まず映画館の中で女性が1人座っているショットから始まり、モノクロ映像で消防隊の説明がされる。そこへメガネとマフラーをした一人の男性が彼女の隣の席に座る。そしてぎこちなく二人はモヤモヤし始める。映画館のスクリーンは破廉恥な映像へと切り替わる。それを映画の後部座席からロングショットで全体を捉えるカメラ、不意にカットが変わり、女性が街を彷徨う描写が映り込む。

彼女の名前はkeiko(ケイコ)。スタッフ、キャストの文字が英語で映し出される。彼女は歩道橋を上りそして降りてバスに乗る。それを横顔で捉えるカメラ、また再び歩道を歩き、途中で買い物をし、自らのアパートへ戻り洗濯、料理をする。そして1人で寂しく食事をする(その間、優しいメロディーの音楽が流れ続ける)。彼女は布団の中に入り眠る。

続いて、カメラはゆっくりとフェイドアウトし、彼女が男性と会話をしている場面へと変わる。彼女は男性に"私が今夜おごるから一緒に食事に行きませんか"と伝え、二人は小料理店に行き、しゃぶしゃぶを口にする。彼女は"二十三歳でバージンておかしいですか"と男性に聞く。男性は"好きなタイプは"と聞き、それに対して彼女は一つずつ丁寧に答える。そういった話が繰り広げられる。

続いて、酔っ払った二人が夜の街(繁華街から人里離れた所へ)を散歩する。彼とは変わり、彼女が雑誌を読む場面へと変わる。ここは彼女の自宅である。彼女は行きつけのスナックでドリンクを飲み、一服し店員と話をする。そして近場の銭湯に行き風呂に入る。彼女は急いで家に帰り、自宅でドライヤーで髪を乾かす。そして化粧をし始める。(一人の若い男性のカットバックが映される)。彼女の自宅にやってきたその男性。

彼女は真っ赤なドレスを着て、彼を家に上がらせる。ケイコは何か飲みますかと伝え、男はコーヒーがいいと言い、インスタントしかないですが、いいですかと言い、大丈夫だと答える。そして男はタバコを吸う(一瞬、アランドロンの絵はがきが映される)。そしてケイコは男性にここに男で来る人は父以外初めてなのと伝える。 二人はたわいもない話をひたすらする。そして熱く接吻する。

そうした中、様々なやりとりをし、二人は夜の営みをする。今、二十三歳OLのケイコの静かな日常が幕を開ける…と簡単に説明するとこんな感じで、


職場の同僚のキツネ顔の村山君に写真を撮ってもらって、喫茶店で会話するシーンで二人のごにょごにょとした小さな会話が面白い。ところで当時の日本はどこでもタバコを吸える状態だったのだが、といっても世界各国そうだと思うが、今の世の中はタバコを吸えるお店を探すのが非常に大変である。ここまで厳しくすると非喫煙者も色々と大変である。連れが喫煙者で、タバコ吸えるお店じゃないといけないとか色々といつも厄介だ。

それからこの映画ではパチンコも出てくる。今のパチンコはまるっきり違くて、素朴でシンプルな台である。それとこの作品は少しばかりレズビアンチックなシークエンスもある。その二人が小さな小旅行をする後半の物語はより一層自分好みである。原付バイクで移動して、ヘルメットを頭に被ってぎこちない姿で街を散策するシーンは最高だ。自然あふれる原風景の中、日本の風物詩とも言える様々な夏の風景がフレームインされる。


二人は森の中で絵を描き、風に髪をなびかせながら自然光にあたり生き生きと成長する。まるで候孝賢の初期の作品を見ているかのような素朴な映像が映し出される。それにしてもこの作品七十年代から八十年代の空気と風俗が充満していてびっくりする。この時代に生まれているわけではないし、この時代を歩んできた訳でも無い自分がノスタルジーを感じてしまう。

この作品を見ていると主人公の女性を取り巻く男性のダメっぷりが 東 陽一の「もう頰づえはつかない」を思い浮かばせる。今思えばこの作品も一九七九年公開と言う事で、本作と一緒である。偶然なのか必然なのかわからないが、どちらにしろ一人の女性を取り巻く男性とその女性の恋を描く作品には違いない。本作の役者は大体オーディションで素人から募集したとされている。

この作品後半から主人公が入れ替わるかのようにカズヨ役の きたむらあきこが素晴らしい芝居を見せてくれている。彼女がこの作品では唯一の女優だろう。あのレズビアン独特の優しさで包み込むような感覚を見ているこちら側はほっとする。特に彼女が畳の上に置かれたチェアに座り、独白しカメラ目線になるシーンなどは印象的だ。そもそも髪の毛も男性と同じ位に短く、非常にファッショナブルで風貌から魅力的である。決して美人とは言えないが…。

この作品の画期的なところと言うよりかは個人的にこのシーンがあって非常に良かったなと思うのが、主人公であるケイコが家族四人と食卓を囲みながら生活感を漂わせる場面での窮屈感が親友であるカズヨと一緒にいる時とは対照的に違っていて、それなのに結局は父親が勧めたお見合いでぱっとしない男性と〇〇するまでのストーリーが個人的には良かった。特に笑えるのが、いや…それを言ってしまうとネタバレになるから言えないのがもどかしいのだが、きちんとクライマックスはオープニングにつながるような演出になっていて、ここはさすがカナダ出身の監督だなとセンスを褒めてしまう。

俺が何を言いたいかはこの作品を見れば分かると思う。

それにしてもこの作品のサウンドトラックがシンセサイザーであり、非常にチープ感を漂わせ、それがかえって映像に合っていて非常に良かった。とにもかくにも七十年代最後のこの昭和の雰囲気がたまらなく好きだ。映像には公衆電話で話す彼女の姿が捉えられるが、今の作品には滅多にそんなシーンは作れない。当時はスマートフォンのようにたやすく便利なものはなく、どれもがいちいち大変だったのである。

この作品がいかに日本で評価を与えられ、大ヒットしたかがわかる。どうってことのない日常風景を捉えている約2時間の作品を私は皆にお勧めしようとは思わないが、こういった作風が好きな人がいるのなら絶対に見た方が良い。

余談だが、ケイコを演じた若芝順子はこの作品が唯一の女優業である。それと彼女が飲食店で男性と話ししているシーンで流れるBGMに中島みゆきっぽい感じの音楽が流れるのだが、あまりに一瞬の出来事だったので、そこまでわからなかったのだが、果たしてどうなのだろうか…気になるところだ。
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