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KeikoのCHEBUNBUNのレビュー・感想・評価

Keiko(1979年製作の映画)
5.0
【外国人による高解像度日本文化映画】
中学2年生の時から映画に嵌り15年近く経った。中学時代に寝た映画も今観たら面白いのかもしれないと思い、今回は『Keiko』を観ました。本作はクロード・ガニオン監督がドキュメンタリータッチである女性の日々を撮り、キネマ旬報ベスト・テンに入るほど称賛された作品。しかし中学時代に背伸びして観た私はよく分からず寝た記憶がある。今回観てみると、年間ベスト級に素晴らしい作品であった。

日本を外国人が撮ると、サイバーパンクだったり、サムライ、ニンジャ、スシと表層的な日本観を擦り倒す傾向がある。しかし、クロード・ガニオン監督は1970年代の日本文化をいやらしい程緻密に捉えている。故に、年配者から聞いたことがある生活様式が完全に再現されており興味深いものがある。

なんといっても冒頭から、ケイコ(若芝順子)が映画館で気持ち悪い男に迫られるところから始まり、男のハシゴ酒に付き合わされる場面が映し出されるのだから。また、オフィスではプリンタで沢山印刷されたものを女性社員がせっせと束ね、それを男性社員がタバコ蒸しながら見つめ、今日のデート相手を探していたりする。ゆったりとした時間感覚の中で、女性が消費されてしまう気持ち悪さがある。しかし、それが中盤の展開に強固な形となって関わってくるので不快さはない。

先に、本作の編集について触れておこう。『Keiko』はホームビデオのように限りなく自然体に近い動きを捉える一方で、編集による言葉で語らぬ演出に素晴らしさを感じる。例えば、カフェでイケメン勝(池内琢磨)に一目惚れする場面。彼女はカフェの同じ席で、彼が再び現れるのを待つのだが、洋服を次々と変えることで時間の経過を示す。そして、再び彼がその場に出現すると、彼の眼差しのショットを一発入れてあとは説明不要、部屋での情事の場面へ転換する。日本映画に説明過多をよく感じるだけあって、この表現は魅力的であった。

さて、お察しの通り勝に裏切られるケイコ。彼女の痛みを癒す存在・カズヨ(きたむらあきこ)との情事が始まる。部屋で、陽光差し込む中での暮らし。一緒に部屋を探したり、ボウリングしたり、銭湯に行ったりする。男に対する、気遣い、例えばビールを準備するみたいなこともする必要がない。対等な立場で、愛を深め合うことができるのだ。クソみたいな男社会に反発するように彼女は女性の世界に入るが、やがて「結婚」という呪縛が二人を引き裂く。輝かしいある場面があまりにも悲しく映るのだ。

最近、日本では『愛がなんだ』、『花束みたいな恋をした』、『ちょっと思い出しただけ』みたいな感傷的な作品が人気を集めているが、1979年にも存在し、恐らく今上映しても多くの若者に刺さるであろう物語であった。

セリーヌ・シアマの『燃ゆる女の肖像』が好きな方にもオススメな作品です。Amazon Prime Videoでレンタルできるので是非。
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