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グラディエーターのLudovicoMedのレビュー・感想・評価

グラディエーター(2000年製作の映画)
4.2
《持たざる皇帝とローマの大衆をものにした奴隷》

午前十時の映画祭にリドリースコット渾身の作品賞映画が上映された。リドリースコットは決闘題材の歴史劇を高頻度に手掛ける名匠で本作が娯楽大作志向ながら神聖な空気を醸す名作たる堂々さは今振り返れば『最後の決闘裁判』と『デュエリスト』でのキレキレな鋭利さはややマイルドに感じてしまう。
とは言っても何度観ても舌を巻く脚本の面白さを基点に血湧き肉躍る決闘に物凄く見えてしまう上手さ、リドリースコットの職人芸が圧縮され傑作に違いなかった。
現に本作がリスペクトしている『ベンハー』『スパルタカス』といった60年代の史劇スペクタクルはめっきり作られなくなってたが『グラディエーター』の影響で2000年代前半はこのジャンルがちょっとしたブームとなった。

まず特筆すべきはリドリースコットの裏テーマと思える対立構図がガッチリ主軸に固まっていたことだ。一貫して対立構図が濃厚なリドリースコット作品ではよく悪役へ没入して鑑賞しちゃいがちなことがあると思えるんですが、対峙する2人の男、あるいは巨大なシステムに対し対峙する事もある。
加えて、郷に入ったら郷に従いそして支配する挑戦というシナリオもリドリースコットの共通項だ。この2大項目が文芸チックかつスペクタクルに炸裂した勝因といって良いくらいだったのだ。
ラッセルクロウ演じるマキシマスが姑息な嫌がらせを食らい気の毒に堕落していくのだが、マキシマスがあまりにハイスペックなデキる男だったため、あっという間にのし上がってしまう。競技場が広がるにつれ難攻不落な激ムズステージも易々と乗り越え、ローマの民という郷はいとも簡単に支配できてしまう。
これを面白く思わない新皇帝コモドゥスは徹底的に彼を破滅さそうと狂う。
大衆の歓声が嫉妬心を煽るため裸の王様に孤立したコモドゥスは暴君っぷりが逆に炙り出されてしまうバランスが肝なのだ。
つまりはコモドゥスの暴君的虐げが面白さに結びついてるほど、ホアキンフェニックスのキモい演技が素晴らしい。
ナルシスティックな性格を印象付ける老帝を殺す場面はほとんど『ブレードランナー 』のタイレル社長殺害と酷似の場面だったが、ひたすら愛に飢えた人物な事がここから提示される。
対するマキシマスはコモドゥスが手に入れることが出来たはずの人望を遠くから手を伸ばし掴んでいくがマキシマスが渇望する故郷(家族)とは遠ざかっていくため虚しさが増す。ラッセルクロウの魂が抜けた顔の演技が異様にハマっているのもあり、そんな表情されるもんだから、余計にコモドゥスは苛立つのだ。
姉の子供までマキシマスに憧れられる始末を前にあまりにブタ野郎な策を講じてしまう、しかしコモドゥスの状況を見るに気の毒に思えなくもない辺りはリドリースコット的アンビバレントな感じだ。

もちろん手の込んだアクションも大画面では迫力倍増だった。動き回るカメラワークやらあえて手ブレでスローをキメる演出はやっぱり古臭かったが、単調に見えがちな閉鎖空間の決闘をあらゆるロジック仕掛けで試合の構図を使い分けるためマンネリしない。ゲルマニア戦争からカウントしてどれも、明確な勝因がありコロンブスの卵のように攻略していくアクションに心躍りました。

そしてリドリースコットといえば映像派こだわりオジサンでありスモーク焚きたがる癖があります。一番分かりやすいのが闘技場の砂塵と日光のマリアージュだ。引きでないショットだと砂の粒子で水飛沫をやろうとしてたり、クライマックスの重要な場面では花吹雪の舞いに円形の列をなした人物配置でまあ芸が細かい。
また照明を当てる際真横から強烈に焚かれるため、顔の半分が影で浮き立つ。顔のクローズアップはほぼこれが採用されてるので、全員彫刻の様に陰影な印象を受けるのです。

しかし何より注目すべきはコモドゥス邸の脅威のこだわりだ。敷き詰められた骨董品の手数により、タイレルコーポレーションの二次創作を思わすごった返した空間は眼福満点。ホントに美しい。

割とウェルメイドに創った感ある満足度で劇場を出れたので風格に名を恥じてない。午前は眠いので行きたくなかったのですが、これは眠気も吹っ飛ぶ映像美であった。
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