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ガス燈の青のレビュー・感想・評価

ガス燈(1940年製作の映画)
4.2
心理学の分野などで目にする「ガスライティング」の語源だと知って、鑑賞した。
ガス燈の揺れが、真実を曇らせることを暗示している。また、灯りが弱くなったり強くなったりすることが、妻の心理と対応する。
カメラワークが巧み。流れるような場面展開に引き込まれる。場面の切り替わり(視点の切り替わり)もかっこいい。妻による「ガスライトが弱くなると…」の証言の直後に、別の場所にいる夫たちを奥に据えてステージ上のガスが点灯する場面とか、おしゃれだと思った。台詞の対象を観客の心象に浮かばせるだけでなく、画としても明示的に表現する手法。計算されている構図や切り替わりが多いと思った。
物語は現代にも十分通じる。女性の無知を強調させたり、最終的に女性が悪者となる内容でもない。夫は、婚姻関係というある種の契約を盾に妻を囲い込んでおり、「誰も何もできない」「逃げられない」という妻の言葉はまさにその契約から逃れられない苦しみを表現している。最終的に、妻は自身が正気を保っているのか自身でも分からなくなっていたので、最後のナイフの場面では、本当に正気を失ってしまったのではとヒヤヒヤした。妻の怒りの表現だったと知れて一安心。面白かった。
昼ドラっぽい人間関係がよい。若手のメイドは、主人(夫)に気に入られたことを「奥様に勝った」と表現するくらいには、権力のある男性からアプローチされることに関心がある(現代にもこういう人いるよね)。当然、夫はメイドを暇つぶし程度の相手に観ているので、メイドのはしゃぎっぷりが痛々しく映る。妻はメイドたちが内心で妻のことをみくびっていることに気が付いているのだが、自身が正気を保っているのかどうか自身でも分からないので、夫にもメイドにも意見を主張することができないでいる。
夫は20年もの間、宝石にとりつかれていたことになるので、殺人を犯したのは若かりし頃だとわかる。以前の妻がオーストラリアにいるのも何か事情があってのことだろうかと疑える。

現代のフェミニズムの文献でこの映画の原作が引用されていた。ガスライティングは証言的不正義と一部重なっている。この映画の夫も「女の人は精神的にか細く、神経質になることがある」というステレオタイプを利用して、周囲に妻をおかしな人だと認識させ、「そういう人はそっとしておこう」という周囲の同情を引き出している。こうなると、妻の証言はますます信用されない。ベテラン刑事と従兄弟のみが、周囲の証言や妻がかもしだす不安に左右されずに、妻の証言を信用した。
この映画や原作が、社会に対して何らかの批判的精神や批判的な意図をもってつくられたのか否かは分からない。この作品の道徳的価値が偶然の産物だったとしても、鑑賞物としても物語としてもよくできた作品だと思う。
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