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ボディ・スナッチャーズのhorahukiのレビュー・感想・評価

ボディ・スナッチャーズ(1993年製作の映画)
4.3
ドンシーゲル版、フィリップカウフマン版に続く『盗まれた街』の3回目の映画化作品。原作に沿った展開を見せていたシーゲル版、原作を意識しつつも時代に合わせてアップデートさせたカウフマン版。そして本作は、原作の設定を受け継ぎつつも独自解釈のもと新たなステージへとテーマを移行させ、過去作のどれとも異なる魅力を放つナイスな作品だった。

過去作はどれも自らが住んでいる街にエイリアンがやって来て少しずつ侵略されていくお話だったけど、本作は軍事基地内部の汚染調査の間に滞在することになった南部の街で侵略に巻き込まれるという、地元ではなく滞在先で起こるお話になっている。

更には、過去作ではオッサンだった主人公を10代の少女に変更し、環境保護局に勤める父親、継母、弟の3人との生活に息苦しさを感じている現状と亡くなった実母の影を未だに引き摺っていることが彼女の手にしている本によって語られる。

原作とシーゲル版は共産主義の台頭に対する恐怖、カウフマン版は社会からの平均化圧力といった感じで、製作される時代によって根底にあるテーマが変わっており、それは本作でも同様。そして面白いのはタイトルから『Invasion』が消えていること。この点から、外部からの侵略としての恐怖ではなく内部に抱える問題に目を向けた物語となっているんじゃないかって感じた。

本作は軍事基地を舞台としており、主人公たちが基地に到着した時には軍人たちの間で入れ替わりが既に始まっている。誰が入れ替わっていて誰が入れ替わっていないのかといった軍人内部での人格の変遷についてはほとんど描かず、軍人からその家族→基地外部へという侵食の道筋を重点的に描いており、そこが本作のキモなんだろうなって思った。

年代的にも湾岸戦争の影響下にある作品なのは明白で、クエートでの殺人を後悔まじりに語るシーンが印象的に登場することからもそこは明らか。湾岸戦争での成功はブッシュ大統領の支持率に現れた通り、当時のアメリカでは好意的に捉えられていたわけだし、そこから発展させ、また戦争へと向かっていってしまうのではないかと自国を憂う製作陣の思いが根底にあるのではないかって思った。

だから戦争を象徴するものとしての軍事基地を舞台とし、そこからアメリカ全土へと価値観の輸出が行われるような描き方をしたのではないかな。冷戦の終結も相まって他に軍事大国が存在しなくなった当時の情勢を考えるとそういった方向性へ進むアメリカ・自分たちこそが恐怖の対象なんだと考えて『Invasion』を外したのかも。そう考えるとオリジナルから逆転してるわけだから面白い。

少し低めのアングルから横移動する少年をトラッキングする背後に訓練しているたくさんの軍人たちが映るのだけど、そこに異様さを付与させてしまう映像の凄味は流石のフェラーラだし、統制された軍人と感情のない莢人間が似通ったもののように映ってしまうからなのだろうし、そうであるならばボディスナッチャーという題材を調理する上での着眼点がほんと凄い。

そしてその価値観に抗うものとして、10代の少女と湾岸戦争経験者で人殺しに対する後悔をにじませるキャラを配置しているのも象徴的なんだけど、それ以上に、結局は膨れ上がる価値観を封殺するには暴力しかないという、まさに戦争を体現するかのような帰結を見せるのが何とも救いがない。このあたりはRMAが生み出す次世代の戦争を危惧してたんかも。そう考えるとアメリカの不協和音と主人公家族の不協和音をシンクロさせる意図があったのではとも思えてくる。教育機関が落とされ、家にも学校にも子供の居場所がなくなるのも意味深だし。

本作が製作された時期にどういった論調があったのかはわからないけど、化学物質に対して環境保護局の調査が入っていたり、化学物質で人がおかしくなるのでは?と心配するフォレストウィテカーの発言があったりとオカルト的な湾岸戦争症候群がもしかしたらモチーフに使われていたりするのかな。もともとのオリジナルも集団妄想とか集団ヒステリーが発想のスタート地点だと思うし、めちゃくちゃ誠実なリメイク。一作目への挑戦状のような光と影の対比的構図の美しさ、二作目の叫びオマージュ等、リスペクトも忘れてないし、もっと評価されるべき傑作だと思う!
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