垂直落下式サミング

隣人13号の垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

隣人13号(2004年製作の映画)
3.7
世の中よく出来てるっていうか理不尽だなと思うのは、人を沢山いじめたことがある奴は、人間関係における上手い立ち回りや効果的な距離の取り方を心得ているのだが、自分がなぜいじめの標的にされるのかということに向き合わずにずっと来ちゃって、どこかのタイミングでそれを根本解決できなかった奴は結局どこへ行ってもいじめられる。残酷だけど人間が作るコミュニティって、そういう暴力性を暗黙のうちに肯定することで成り立っていることがままある。
本作は、人を率先していじめてきた奴が大人になり人並みに幸せな人生をおくる様子と、常にいじめられてきた奴の人生がどんなふうに狂っていくのかを胸くそ悪く描き、被害者と加害者の逆転によって生じるどん詰まりの絶望をサイコスリラーとして仕上げていた。
ダブル主演の小栗旬と中村獅童が十三と13号の二重人格を演じており、パフィーが十三の部屋に訪ねてくる場面では、その人格の解離と粗暴な13号が暴走していく予兆を視覚的に表現していた。だが、二つの人格を別々の俳優が演じるというのはあくまで心理的な表現であって、『ジキル博士とハイド氏』のようにその風貌の変化が事件のトリックになるでもなく、本作のダブルキャストには特に物語上の必要性を感じなかったのが残念。
夫婦が暮らす安アパートのセットに生活感があり、それと対照的に十三の住む13号室は視覚的な嫌悪感が満載。十三の部屋に押し入った夫婦が自分たちに向けられた想像だにしなかった害意に触れ、静かに取り乱す様子は嫌にリアルだった。「それなに?なんなの?」と、“それ”がヤバイものだということくらいわかるのに、しきにり旦那に何かをたずね返答を求める妻と、過去の出来事を思い出し、嫌な汗をかきながら怒りと恐怖に震えるしかない夫。そこから一歩踏み入れれば、許しを請うたって仕方ない程の憎悪が口を開けて待っている。
いじめた側が「何を今更」と言おうが、いじめられた側にしてみればつい最近の出来事なのだ。暴力を受けた記憶はそれほどまでに人の時間を押し留めてしまうんだろう。
ラストは色々な解釈があるだろう。私は、あのときどちらかに勇気があればこんなことにはならなかったのかもしれないと、ありもしない「もしも」に思いを巡らせる夢想にみえた。