corouigle

恋空のcorouigleのレビュー・感想・評価

恋空(2007年製作の映画)
4.0
大人になってからバスケをしていた仲間
との「雪山合宿」の際に
仲間同士で鑑賞

およそ観るようなセレクションではなかったものの
ボロボロ泣いた😭😭😂

新垣結衣(ガッキー)かわいい
多分、本作が初
三浦春馬くんも多分初

↓おまけ↓

~背番号#1~「長い」

※スルー推奨※

私は幼い頃から小さくて
足も遅く
自分に自信も無かった

親にとってはそんなことは
関係が無かっただろうけれども

姉がいて
私は長男
下には弟がいた

生まれたときには体重は
平均より大きくて
でも5-6才になる頃には
既に小柄な
色白boyだった

それに加えて
性格もshyだったので
もうダメの烙印が押せるほどだ!

しかし
よく分からないのは
「ニュージーランド🇳🇿では
君は体格の大きな女の子に追いかけられてキス😘をされていたよ」
と親の話

全く記憶にない
モテた覚えもない

キスされてたなら
どこにされてたのか!!と
気になるところだが
記憶にないからあまり関係も無い

さて
なぜまた振り返っているかというと
自分がなぜバスケをしたいと思ったか
にたどり着きたいからだ

背が低く
(背の順で常に1~3番とか)
足も遅い
体育も苦手な私は

単純に
「このままじゃいかん」
「まともにならんといかん」
「モテたり、あるいは少なくとも機敏になったりした方がよい」
と決意したのか
小学校でのクラブ活動🏀や
ミニバス(半年)を多少経験

野球⚾や
サッカー⚽は
経験者にはかなわないが
バスケ🏀なら楽しそうだし
器用さで何とかなりそう
競技人口の少ないマイナースポーツだからなんとかなるだろう

と思いバスケを中学での部活に
する事に決めた

しかし1990年頃、
私がバスケに興味を持ち始めた頃に世間を賑やかにさせていた
「SLAM DUNK🏀」

そのせいで仮入部だけで
25人!という異常な事態になる

ま、浅いブーマー🏄の方々は
5人ほど、早くも早々に離脱するのですが、それでも同期だけで4チーム作れる!

バ、バスケって、5人しかコートに立てませんから!

とのことで
私は「好きなものを続ける才能」
はあったように思うので
部活の中で長い距離を走る練習などでは頑張れたと思う

そのうちバスケよりも
長距離を走ることが自分に向いていることに気づいた

体育祭では記録1位の他界した友人が
「俺は1500なんかイヤだ」
「リレーに出たい」
と難色を示し

おかげでクラスの男子1500m代表に選ばれた
※選ばれたことは栄誉
※周回つけられた事は不名誉

中学の間小柄で
球運びあるいは
アウトレンジのスリーポイント
メインだった

高校で背が伸び
(こちらは1年間バドミントン部のみ)

大人になってからの
バスケ熱が再開したところで
26→33才くらいまで
バビンスキーというチームに所属させてもらった

中学の時に背番号
#22→#14
を頂いた
それらは私にとって
特別な数字になった

社会人のサークルみたいなチームでは
#1という
NBAみたいな背番号を頂いた
バスケは4番からなのに!

回り道はしたが
バスケをやって良かったなと思ったのは
、続けることで得るものがあったからだと思う

体力と自信がつき
ようやく自分のことを認め
また好きになれた

スポーツができる
出来ない
というのは私にとっては大切な要素だった

小学校時代の私は
習い事に行くのをいやがるような
面倒くさがりだったし

運動が苦手と勝手決めつけ
「どうせ自分なんて」と
自虐的に思っていた

中学くらいから自分のことを少しずつ
好きになれたが
中高生くらいまではまだ時折
ダークサイドに落ちていた気もする

背が高校から伸び
リングが近づき
マラソンにおいてなら戦える
という自分に自信を持てた頃には
己の敵は減っていったように思う


敵なんか元から自分が設定していたものだったのかもしれない

恋空をバスケ仲間と観たとき
バスケのことを語ろうと思ったとき

そして折しも録画の
NHKプロフェッショナルにて
大河主演の小栗旬が
「俺なんて本当に何もない」
「演技が下手」
「中3の時めちゃくちゃいじめられていた」
という
嘘のような独白をしていて
でもそこまで上り詰めるか!
と感激したとき

衝撃を受け
私もアウトプットさせて
頂きたい欲望に駆られた

本当個人のエゴの為利用させて頂き
申し訳ないと常々思いますが
私にとっての恋空は
そういう意味で

バスケを好きだった自分を思い出し
その事で仲間が出来

それを通して貴重なバスケの一時代と
輝く瞬間瞬間を
共有しそして最高のラブストーリーをも知ることが出来たという
純粋な気持ちの象徴のような存在です

ちなみに中学のバスケ部は
「楽しい」からはほど遠く
控えめに言って「地獄」でしたが
あれはあれで楽しかった

私は辛いとき、
「バスケ魂」という言葉を自分で作れたので
いつも、体力的にあれより辛いことはそうはないだろう、と思って何でも乗り越えられる覚悟だけはオプションとして
頂きました

バスケ部を引退する頃には
25人の同級生は10人そこそこに減っていました

うちの母校は強かったので、その分練習も厳しかったのです

私は、SLAM DUNKでは
自分としては
アウトレンジのシューター
宮益(海南高校)だと思ってます
(シューターの究極理想としては神ジンくんですけどね)

海南の背番号#15

海南の牧
「海南の背番号を取った男だぞ」
「なめるなよ」

あー、映画SLAM DUNKも楽しみだーーー

また、
バスケでもなんでも
「男としてふつうに見られたい」
とか
「モテたい」とか
「キャーキャー言われたい」
みたいな願望がどこか根底にはあったのですが
格好良い先輩達や
同級生のように
私が憧れたスターになることは出来ませんでした

ただ、
球技大会で同学年たちと
バスケをすると
そこでシュートを決めると
キャーキャー言ってもらえて
それは嬉しいより
不思議だな、という気持が先に立ちました

私の不思議だな、の気持を代弁するように友人は
「お前はあの時あんなにキャーキャーされて!」
と根強く覚えていましたが
(早々にやめた、でも大切な友達)

不思議と
「モテた!はい!これで達成!おしまい!」とはまるで思いませんでした

私の目標は
次は高校へ向かい、
また、背が伸びていき
バスケ自体が次第に楽になり
3㍍5㌢のリングが向こうから近づいてきて
文字通り楽しめるようになっていった
ことはよく覚えています

モテ、という言葉をここまで出せるのは
自分が、過剰にそのことを
意識していた時代があった為です

それは、いつからか、
自分が本当に大切に思う相手に
思われたい、という気持ちに変わっていきました
(これは格好付けです!が、嘘でもありません)

まとめ

多分、もてたいのではなく
好きな人に好かれたい、なのだと思った

恋はかなしい追いかけっこ
ともいいます

私は
誰かに追いかけられるより
誰かを追うことによろこびを感じる
タイプなのだ、ということには
大人になって気づきました
corouigle

corouigle