Jeffrey

とべない沈黙のJeffreyのレビュー・感想・評価

とべない沈黙(1966年製作の映画)
4.8
「とべない沈黙」

〜最初に一言、黒木和夫と鈴木達夫が成し遂げた画期的な映像世界、ドキュメンタリーと劇映画を見事に融合させたアートシアターギルドの傑作である〜

冒頭、蛹の羽化が映る。ここは北海道。少年はナガサキアゲハを捕らえた。野原を走り、教授に話を聞き、先生に否定され、彼は絶望する。銃撃戦、原爆資料館、被爆者の人々の声。今、萩、広島、京都、大阪、横浜、香港を中心としたエピソードが展開していく…本作は黒木和雄のデビュー作かつ東宝とATG配給の一九六六年作品で、超絶可愛い加賀まりこが主演した傑作映画で、この度YouTubeにて特集を組むべく廃盤のボックスを購入して再鑑賞したが素晴らしい。加賀まりこと言えば「月曜日のユカ」はとても可愛く写っているが、ここまで魅力的に加賀まりこを捉えているのは本作と篠田浩二の「乾いた花」だろう(この作品も超絶傑作なのでぜひお勧めする)。今平の「豚と軍艦」で知った長門裕之もある場面でしか出演していないが印象的だった。この作品は作者の視点から描かれているため難解であるが、政治的状況や地域的多様性(実際に大阪から一転して香港に飛ぶ場面がある)をうまく全体的に汲み取り、物語が展開していくのだが、非常にややこしい特性を映画自体が持っている。登場人物と各エピソードを貫く一つのテーマがあり、矛盾するところも出てくる劇的構成は、あえてだと思うが、その表現技術は凄い。この作品を丁寧に説明すると自分がコンガラがってしまう。しかしながら黒木和雄の一貫したスタイルだと感じる。

上記で答えた香港を舞台にするシークエンスでは、映画全体とは雰囲気が一変してスパイ映画さながらの道具等が出てくる。この場面では香港から横浜、そして東京と幼虫が香港で国際密輸団の取引手形に使われている内容が写し出されていく。そこではきな臭い演出がなされる。詳しくは映画を見て自分で確認してほしい。それに新宿で乱闘騒ぎがあるシークエンスもあるのだが、そこでは〇〇と〇〇が〇〇のように〇〇されるのはなんとも悲しい。それにしても様々な舞台があるが、特に千歳空港で望遠レンズで長々と捉えられたジェット機のワンカットが印象的で、さらに加賀まりこがジェット機の中から黒いコスチュームを着て登場し、霊柩車のようなクライスラーに乗って草原の一本道を走るショットも最高にかっこいい。そんでもってプロローグに出てくる少年の虫網とともに捉えられたナガサキアゲハが映るのも画期的。

この映画の優れた場面はいくつもある。例に出すと本物の映像があることや北海道の美しい原野で蝶を捉えようとする少年の動き、長崎、広島を舞台にしている事や断片をモンタージュすることによる映像を撮っていること、前半と後半に分けられ、芸術的な、もしくは方法的対話を観客に投げかけている。混在的欲望と自由な少女のイメージが少年の取ったナガサキアゲハとシンクロし、大人たちの固定概念とはまた別の少年の象徴的な心情が描かれている。それらが後に現れる数多くの事件(戦争の記憶、香港での出来事そして東京)へと発展していくのだ。

この素晴らしく成功しているデビュー作を見てしまうと、日本映画の状況が悪化して、観客的にも主体的にも日本映画はもはや背水の陣に追い詰められたとしか言えないと感じる。いつしかの松本俊夫もそう言っていた。今思えばこの作品が作られた六〇年代と言うのは黒木同様にドキュメンタリー作品を撮っていた勅使河原宏や羽仁進等も傑作多く世に出していたとふと思い返す。ところが残念ながら黒木和雄の「あるマラソンランナーの記録」と言うドキュメンタリー映画がメディア化されていない分私もまだ見れていない。非常に悔しく思う。リチャードソンの「長距離ランナーの孤独」は紀伊国屋からDVD化されたが(本作品とは全く関係ない。ただタイトルが似ているだけ)。



さて、物語は九州以南に生息する蝶を北海道で一人の少年が捕らえると学校の先生はそれを否定して地図を黒板に貼り付け長崎から北海道までの距離を物差しで測りありえないことを伝える。少年はクラスから駆け出しある教授のところに行き蝶々の話を聞く。そして物語は北海道から長崎へと移り、そこから転々とあらゆる県をまたぐ。その長崎アゲハの幼虫がロードムービー的にカメラが捉えていく。やがて原発資料館や被爆者の人々の声だけが聞こえるような演出になり、物語がドキュメンタリーと劇映画の間を行き来する。そこには幼虫を目的とした連中が香港から日本に現れたり、人殺しをするまでに至る。やがて物語は少年の手のひらにある長崎アゲハの運命と行方を静かに捉えていくのである。いかにしてナガサキアゲハが北海道までやってきたのか、その道のりを捉えつつー匹の幼虫=蝶が多くの偶然に操られて日本列島を南から横断する物語がエピソード集的に語られていく。そう、これは日本を横断した幻想の社会ドラマが展開していく物語である…。

そしてこの映画はやはり難解なので、わかりやすくストーリーを説明すると、白樺の林の中に舞う蝶々を網を手に持ち少年が追っている。網を振り下ろす彼は何度も空振りをした後、やっと蝶々捕まえることに成功した。少年はどうやら夏休みの宿題に捕まえた蝶々を提出するが、担任の教員は少年の捕まえた蝶々が南方熱帯系にしかいないナガサキアゲハだったことから、少年がこの蝶々を捕まえたことを信じようとしない。少年は蝶々を大学の教授にも鑑定してもらったが、結局信じてもらえなかった。思い詰めた少年は、自分の捕まえた蝶々を木っ端微塵にバラバラにして石狩川に破棄する。

物語はここで北海道から長崎へと移り変わる。灼熱の太陽の光に照らされたザボンの葉を長崎アゲハの幼虫が無心に食べている。一人の少女がこのザボンを拾い、列車に乗ってくる。幼虫はザボンを食べようとして幼虫に驚いた男に車窓から投げ捨てられて路線脇に転がり始める。こうして幼虫は、ふとしたきっかけで人につき、日本全国横断しながら、人間の様々な場面を観察していく。そして物語は萩へ。ここでは旧家の古い歴史的な景観が続く街である。何百年も続いた旧家の因習に縛られ、そこから脱出する勇気のない女、そこから逃げ出そうとする男の絶望的な愛の物語が写し出されて、それを幼虫がすべて目撃すると言う形をとる。女は男と共謀して夫を殺害する。そして広島へとストーリーは変わり、真夏の太陽の下、八月六日原水爆禁止大会のデモの中にいる男の背中に幼虫がいるのが映る。被爆して原爆部落に住む少女とそうでない青年の淡い恋がここでは展開される。しかし少女には被爆した時のイメージや後遺症の恐怖が絶えず深い影を落としていて、青年の愛情に応えることが困難である。やがて少女の原爆病が発病して、青年との愛も引き裂かれていく。物語は京都へと進む。

戦争の犠牲者の墓標が立ち並ぶ墓地で、中年男がコールガールに甘い言葉を囁いている。しかし中年男の脳裏によぎるのは戦争中に関係を持った現地の女とその家族を虐殺した忌々しい記憶で、男は突然降りしきる土砂降りの中、錯乱したかのように大声を出す。そして大阪へと物語が展開していき、バーの遊び場が映る。連れ込み宿での愛のない関係に疲れ果てたサラリーマンの男の生活をカメラが捉えていく。そして香港へと飛び、幼虫が飛行機の旅客カバンに紛れ込んで香港へと向かう。ここで幼虫は密輸組織の暗号として利用され、二〇億円の値がつけられた取引の目印として横浜に運ばれていく。香港から東京(横浜)へ。密輸の鍵となる幼虫を巡って組織が入り乱れて激しい戦いが展開されて多数の殺人が発生する。更に国家権力を巻き込んで、一段と激しさを増していく。奇しくも安全保障条約をめぐって国会では与野党入り乱れて激しく紛糾し、国会周辺ではそれに抗議するデモが行われている。銃を担いだ兵隊やロケットを映し出す。戦車が市街地を走り回り、幼虫の奪還戦はエスカレートを増すばかり。幼虫は事件とは何の関係もない男の肩に止まる。男は幼虫を狙う殺し屋の銃弾によって射殺される。銃弾が罪もないサラリーマンと幼虫の命をこうして奪っていったのだ。

物語は冒頭に戻り北海道へ。陽炎に揺らぐ千歳空港にジェット機が降り立った。中から蝶を思わせる真っ黒の姿で現れる女が降りてくる。野原に伸びる一本道を黒塗りの車が走っている。その後部座席には先程の黒衣の女がザボンの葉を口にくわえて座っている。そこに少年が現れ、自動車を見つけると網を手にして懸命に駆け出していく。少年の手にした網が振り下ろされると一瞬、広島で被爆のイメージに苦しむ少女の顔がよぎっていく。少年の網の中にはー匹の見事なナガサキアゲハの成虫が羽ばたいている。少年は網から取り出すと、指で胸を押しつぶして殺してしまう。少年は路上に立ったまま、遥か遠くを見つめて彼の足元には……とこういった感じで物語が進んでいく。これを踏まえて映画をじっくりと観察してほしい。因みに、加賀まりこ演じる謎の女と言うのは蝶々の化身であると見て映画を楽しんで欲しい。



本作は冒頭に、長崎揚羽蝶は純熱帯系の蝶で日本に帰化した例として知られている。主としてサボテンを食し卵から幼虫へ幼虫から蛹へ、蛹から羽化して蝶々となる…と説明文が昆虫の描写で始まるそして徐々にその昆虫は成長していく(時計台の針の音が聞こえる)。画面は一度フェイドアウトし、タイトルロゴが出現し音楽が流れスタッフ、キャストが紹介される。カメラは北海道のとある学校の階段を上る少年をとらえる。彼は蝶々の種類を独白している。彼は蝶々が標本として置かれているガラスケースのある教室へとやってきてそれを眺める。カメラは少年のクローズアップ、剥製とされている蝶々のクローズアップをする。カットは変わり、少年が麦わら帽子、虫取り網を手にし草むらで蝶々を捕らえる描写。彼は木箱の虫取りカゴに捕まえた蝶々を丁寧にしまう。少年はー匹の蝶々を猛烈に捕まえようと試行錯誤するがなかなか捕まえられない。カメラはあちこち飛びまわり画面は乱れ始める。少年は汗をかき疲れ草むらに倒れる。それをカメラはあらゆる方向で撮る。少年は網の中に捕まえた蝶々を手に取りそれを眺める。

続いて、タバコを吸う一人の男が映る。彼は少年の先生である。彼は南方にしかいない蝶々を北海道で取る事はありえないと地図を開いて長崎から北海道まで距離を測って少年に伝える。カメラは教室の後から少し引きに捉える。少年はその場から去ってしまう。カメラは少年の足元を捉え、蝶々の標本があるショーケースを一瞬写す…と簡単にファースト・ショットからの場面を言うとこんな感じで、当時の日本映画にはそこまでなかった異色実験映画と感じる。社会ドラマ性が強く幻想のシーンがよく登場する。

正直、この作品を見て黒木和雄自体が記録映画を撮り続けている監督だったため、劇映画に転向してもやはりそのドキュメンタリーフィルムからは抜け出せないでいるのか、本作は劇映画とドキュメンタリーの間に置かれたような作品である。それと北海道に生息するはずのないナガサキアゲハを捕まえた一人の少年が冒頭で現れるのだが、色々と観客は推測してしまう。それに長崎から北海道と言うのは一六〇〇キロほど離れているだろう。仮に蝶が飛んで北海道に行けたとしたらそんなものは非現実的な奇跡である。この作品に出てくる登場人物って基本的に三〇代であるのだが、監督自身も三〇歳半ばでこの映画を撮っていて何か年齢的なもの、分身的に描いているのだろうか…。


あのナガサキアゲハの幼虫がどうやって北海道までたどり着くかの過程を描く場面で、列車の中で果物にくっついていたその幼虫を見て驚いた男性がとっさに窓から投げてしまい、幼虫が旅をするシーンが少し流れるのだが、誰かの手のひらにその幼虫が登るショットの構図が印象的で好きだ。それとおっぱい丸出しのストリップバーで踊る女の裸を見ている場面もきわどくて好き。それから広島の平和記念公園での頭上ショットも印象的だし、加賀まりこが幼虫を手にする場面で彼女めっちゃ頑張ったんだろうなーって勝手ながらに思う。俺の想像だけどきっと幼虫なんて気色悪くて手に持ちたくなかっただろう(笑)。あの少年が剥製の蝶々をガラスケース越しに見るのをカメラがガラスの内部から少年をとらえる(ガラスが反射して蝶が少年の顔に被ったり、ショーケースの上に置いてある瓶などをとらえたフレームショットがめちゃくちゃかっこいい。あとほぼクライマックスで虫取り網を両手で持ち一本道をかけ走る少年のロングショットの風景も原風景が美しく、あの絶望した少年の表情までのいきさつが何とも言えない。後中盤あたりの加賀まりこが白いワンピースを着てミスト(霧)の中から徐々に姿を現す妖艶で怪奇的な場面も凄く好きだ。それと日傘を持っているとどうしても吉田喜重の岡田茉莉子を思い出す。

広島の場面ではドキュメンタリー色が強くなって、加賀まりこを捉えながら被爆者の関係者の女性にインタビューする声だけが聞こえて来て、平和記念公園での参列者、外国人を含む人々の表情を捉えて焼け野原になった当時の広島をとらえた資料映像らしきものも挟み込み、あらゆる静止画が現れ、東京タワー、繁華街、蝶々等がカット割りされていくシーンは黒木和雄にしかできない手法だなと感じた。そんで繁華街を走るタクシーの後部座席にきっちり幼虫がいるのも笑える。そんで物語の流れ的には広島から次は京都へと移り変わり、日本の都らしい風景と佇まいが画面に現れる。そこでは加賀まりこ演じる女性が動物園で孔雀のような鳥を眺めているシーンがあるのだが、その時の加賀まりこが髪をアップしている姿がめちゃくちゃ可愛くて驚く。そんで日傘をさしながら動物園を歩く妖艶な姿もかわいい。やっぱりこの女優ほんとにかわいらしいな。俺のタイプでは無いのだが、そんな自分でもめちゃくちゃ可愛いと思う。俺はどちらかと言うと京マチ子や岸恵子、岡田茉莉子、若尾文子、岸田今日子とかが好き(どうでもいい)。

土砂降りの中、傘をさしながらお墓の中心部で叫んでいる男の頭上ショットから横に移動して徐々にカメラが男から離れていくシーンも特に何もないのに圧倒的に印象に残る。そっから加賀まりこが傘を持ちながらお寺の前で歌を歌う場面もインパクトがある。そこから物語は大阪に入るのだが、そこでもとある男性を捉えつつ女性同士の会話が音としてだけ聞こえてくるのでドキュメンタリーぽさが感じる。あの路上の横の壁に大きく加賀まりこの顔がクローズアップされる広告として映し出されるインパクト、モノクロームに映る繁華街の居酒屋のきらびやかな提灯や看板がすごく摩訶不思議な世界へと観客を誘うようで美しく神秘的であった。特に雨で濡れている地面がライトアップで照らされ反射して尚更SF映画さながらの場面である。

そんでそこから香港へと行き、ナガサキアゲハに対しての説明がなされ、横浜へとすぐに移り変わり、サングラスをかけているある連中が港を眺める中、一人の男が現れ手に持っているアイスボックスのような物を開いて、よく食うなぁと一言言う。そしてスコープが彼を狙い始めるが、カットが変わってしまいそれは断念となる。カメラは国会議事堂を捉えトンネル内で先程の男が死体として発見される場面になり、霊柩車に運ばれるシーンが一瞬映る。この件は一応物語になっているが、国会議員や原爆投下の時の資料映像(キノコ雲)が挟まれたり、車が爆発して炎上したり順序よく物語がつかめない演出になっている。カメラが一瞬左右逆さまになったり、銃撃戦をおっぱじめたり、まるでフィルムノワールのような場面へと変わる。泥まみれの中、男二人が戦うシーンは圧巻である(音楽もすごく良い)。

そんで歌手が蝶々の歌を歌いながら当時の自衛隊、議論ばかりで何も決められない議員たちが国会議事堂で発言する場面と当時の若者たちの安保闘争反対的な連中たちがヘルメットをかぶりながら街を埋め尽くし占拠する映像が映る。そんでネタバレになるため詳しくは言えないが、とある男がとある男に銃撃され死ぬシーンがあるのだが、そこもドキュメンタリーっぽくなっていて非常に好みである。そこから映画がほぼクライマックスになり、あの有名なシーン(予告や当時のプレスシートやポスターとかの写真となっている)加賀まりこが空港で歩く(滑走路)のシーンと変わる。飛行機が不時着して止まるシーンをカメラが長回しする場面は好きで、黒い服を見にまとった加賀まりこがカメラの方にスタスタと歩くシーンは蠱惑的だ。幼虫のように葉っぱを貪る彼女のクローズアップ、冒頭に現れた少年がここで最終的に再登場する場面、これで物語が全て帰結する、パズルが完成するのである。

あのクライマックスで一本道を向かって懸命に駆け出す少年と雄大にかぶさってくる巨大な白い網空抜きで三カット重ねられ、ギラギラとハレーションに苦しむ広島の少女の短くインサートされ、少年の手には、見事なナガサキアゲハがうごめいていて、そのナガサキアゲハを圧殺していく少年の指をとらえるカメラ、その蝶を見つめる少年の顔とナガサキアゲハが少年の手から路上に落とされる場面、少年の瞳が遥か遠くを見つめながら路上のナガサキアゲハへとパンし、吹く風にナガサキアゲハがかすかに生きているかのように動きながらエンドタイトルが終了していくラストは傑作にふさわしい終わり方である。

この作品で香港の場面が出てきたが、監督自身メイキング映像のインタビューで言っていたが、当時はベトナムで撮影したかったらしいが、結局できなかったので香港で撮ったとのこと。といっても室内はすべて東京で撮ったと言っている。幼虫がロードムービーをするようにとりたかったため、途中で寄り道をするべく外国へと飛び立った場面をどうしても撮りたかったと言っている。それと、当時のキャストさんはどういう映画になるかは誰も知らなかったそうだ。主演の加賀まりこは監督の好みで選んで、たまたまスケジュールが空いていたので主演に抜擢したとの事だ。この映画の助監督として東陽一が出ていたことにびっくりした。彼もアートシアターギルドで作品を撮っている。

いゃ〜、監督も凄いがカメラマンの鈴木達夫も素晴らしい仕事をしていると思った。鈴木と言えば吉田喜重の「水で書かれた物語」などをとっていた頃から知っていたが、彼が被写体をとっているのではなく、その奥に秘められた映像などをカメラに収めている感じが相変わらず素晴らしい。こんな独特な映像の世界を築ける人も滅多にないだろう。てか、いい加減ソフトメーカーは岩波映画製作の黒木和雄の初期作品の短編などをDVD化するべきだ。海壁、洗う、ルポルタージュ炎、恋の羊が海いっぱい、群馬県、我が愛北海道、太陽の糸、あるマラソンランナーの記録、他人の血など多くの作品を私は見れていない(屈辱的)こんな見れてない作品があるのにアートシアターギルドでとっている素晴らしい作品五本と後期の作品数本しか見れていない私は決して黒木和雄を多く語ることができない。非常に残念である。まぁ国立アーカイブで観れないこともないが…。


改めてこの作品を久々に見返したが、当時はYouTubeに落ちていたのを鑑賞したのを記憶しているのだが、この映画を評価しない人は正直意味がわからない。前衛的な映画で何を言いたいかよくわからないと言う言葉をよく目にするが、きちんと映画を見ていたのだろうか…。思想色が強いから嫌いと言っている人はわかるが、こんなフィクションとノンフィクションをうまく融合させた作品なんて今は撮ることが難しいし、そもそも戦後の日本を生きている映画作家なんてたいていの人間が左巻きでそういったアナーキストだったりするのでそこら辺はもはやもう諦めている私は。大島渚や熊井啓、吉田喜重だってみんな左翼思想で日本大っ嫌い映画を作っているが、映画作家としては抜群に才能がある。嘘だと思うなら大島渚の儀式、吉田喜重ならエロス+虐殺、熊井啓なら地の群れなどを見て欲しい。ガチで凄い映画である。
Jeffrey

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