すがり

悪魔を見たのすがりのレビュー・感想・評価

悪魔を見た(2010年製作の映画)
4.2
イ・ビョンホン。
イケメン。
HEROにも出てたよね。
ハリウッドでもわりと馴染みがある。

じゃあ何かすごいのか。
何がすごいのか。

やっぱり演技がすごい。
この人の表情見てたら、それだけでこっちの感情に渦が起きる。
動くことも、言葉を発する必要もない。
ただそこにいて、顔を見てたら、表情見てたら、色んなことが分かる。分からされる。
やばいでしょ、そんなん。

これは復讐の映画で、一つの完成形。
復讐って行為や事象。それにまつわる議論の一つの答え。
だからイ・ビョンホンは復讐しなくちゃいけない。
そのためには残念ながら事件が起きないといけない。
そしてその事件を目の当たりにしたイ・ビョンホン。
そのときの、彼の表情。
映画の内容を横に置いておくなら、ここですでにハイライト。

自分は演技をやってたことも、勉強してたこともないんだから、上手い下手を語るのは本当は間違いかもしれない。
でも、そんなド素人の自分を一瞬でこれほど引っ張るんだから、イ・ビョンホンに間違いはない。

それどころか、この映画は物語にも間違いはない。

いや、『悪魔を見た』というタイトルで、その体現みたいなのが事件を起こしていく、見てる側が心の底から憎悪するような奴がいる映画なんて、しかもそいつに完全な形で復讐を果たそうとする映画なんて、本当は間違いしかないようなもん。

でも間違いない。

だって答えだもん。これ。
合ってんだもん。

復讐ものの創作は星の数ほどあって、度々問われるのが復讐の意義。
そこに意味はあるのか。復讐は何も生まない。復讐は連鎖する。復讐は、復讐は。

個人的には、こういう話で、復讐したいならすりゃ良いって思ってる。
辛いことが、筆舌に尽くせぬ外道が起きる。
無理だわ。そのまま生きてけって。
しかも振り上げた拳を向ける対象がいる。
なおさら無理だわ。我慢しろなんて。
絶望の中にある復讐の対象は、要するに生きる希望。
自分がこれからを生きていけるかどうかなんて、まずはその対象が排除されなきゃ分からない。
対象が残ってるまんまに、復讐をやめて生きてほしいなんて、傲慢に近い。
生きる希望を諦めてみないかって言ってるんだもん。
それはつまり、今から一旦死んで生き返ってみようと言ってるのと同じ。
何もしなけりゃ、生きることも死ぬことも怖いのに、死んでから生きてみようなんて恐ろしすぎる。
死んで生き返ったことのある人なんていない。そんなのはもう神の領域じゃん。
だから人である以上、復讐できるなら、したいなら、すりゃ良いと思ってる。

この映画のすごいのは、自分の持ってた個人の見解を、もう一つ先に進めてきたこと。
正確に言えば、先じゃなくて、横にプラスしてきた。
もっと正確に言えば、プラスしてきたのではなくて、横にも目を向けるように仕向けて、光を当ててきた。

たしかに。たしかにな。
それは、たしかにそうだよ。
これだけ納得行くんだから、自分もそう感じてはいたんだろうと思う。
今回は、それを視覚的に見せてもらった。

でもやっぱり見解自体は変わらない。
復讐という生きる希望を捨てて生きるには、心の底から全てを委ねられるような誰かが、何かが必要で。
復讐は、それを奪われたからこそ手を染める行為。
この矛盾のうねりは、解消されない。

じゃあ、今回この映画で視覚的に見せてもらったこの体験は、意味がなかったのか。
見解が変わらないなら、この映画を見ても、思考や感情に波紋を作ってはもらえないのか。

大丈夫。心配しなくて良い。
この映画は復讐に対する一つの答え。
顔を見れば全てが分かる。
イ・ビョンホンが教えてくれる。
すがり

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